木津川北岸の砥石山跡へ
鶏鳴八滝の帰りは多羅尾に南下して童仙房方面の林道へ採りました.三ヶ岳の南尾根付近にある茶畑を過ぎると尾根道を通る林道となりました.林道を南下していくと地籍は和束町と笠置町の境界付近を通るようになり,林道沿いに坑口が何箇所か開いていました.現場は昔,コメの相場を知らせるために使用された相場の峰(旗振山)から尾根伝いに主稜線に詰めていった,標高440m付近に当たります.砥石山は林道の上あたりになり,脇に質の悪い砥石が散乱していました.
道路の上の砥石山跡.
砥石の木っ端が散乱していました.ここは台地状になっていて,露天掘りしたような壁が周りにありました.
城跡の堀切にも見えますが,ここは露天掘りの跡です.一部に坑道の崩れた凹部も残っていました.
砥石山跡の坑口.当初はマンガンの坑口かと思いました.
林道の下にもズリ地形が広がっていました.
植林の中のズリ地形.
砥石は京都北山で見るようなものでは無く,青砥に近い岩石でした.一応,泥質ホルンフェルスのようですが,片理がある程度あって白雲母を含んでいました.一見すると泥質の結晶片岩のような外観でした.
このあと,木津川沿いの国道に出て帰途に就きました.