長垂山の燐灰ウラン鉱(非売品)
この標本は学生のころ(たぶん2003年頃だったと思う)にサンプリングした石です.学生のころはどういうわけかペグマタイトや稀元素鉱物などを主としてやっていました.このころよく通っていたのは,川崎町小峠や浮岳・筑紫権現山・九千部山・背振村の腹巻・柿の原峠・鳥追峠などでした.当地にもよく休講などで発生した空き時間に西鉄と地下鉄-筑肥線を乗り継いで通っていました.2004年ごろから関心が薄れてきてまた金属のほうに戻ってしまいました.
下の標本はリチウムの出ている場所より西側の大きな凹地の隅に,ガレ場のように当時はなっていたところで,ザクロ石―白雲母―曹長石―石英からなる母岩中に亜鉛スピネルが含まれていた岩がたくさんあったように記憶しています.一部に深い藍色の藍電気石もでていました.しばらく前にもこの現場で亜鉛スピネルの8㎜の結晶を得たばかりで,ほかに目を移そうと思って落ちている石を見ていくとこの石が目に入りました.はじめは「なーんか割れ目に黄色いのがついているな~」って感じで,燐灰ウラン鉱と気づいてのは帰ってからでした.
当時はサンプリングした石は一通り掃除した後に,短波紫外線灯で蛍光鉱物がついて居ないかチェックするのがたのしみでした.参考程度に短波紫外線灯を当てると,割った面が一面に黄白色に蛍光しました.ソ連製のガイガーカウンターで放射能の有無を測定すると結構な量がでていました.母岩は割ったなりの石で不細工でしたが,燐灰ウラン鉱が一面についているため成形できずに,現在もそのままになっています.
九州から帰省してしばらく経ってから会館の3Fで「北部九州の鉱物」(たぶんこういう名前だったとおもう)で個人展示をした時に,「これが一番前やろう!」と言って,配置を変えさせた人がいてすぐに変えました.光線の関係上,奥のほうが見えやすいと感じたので,奥にいれていたのですが,それがいいならと配置を変えたのを覚えています.当時はあまり付き合いの無い方でしたが,徐々に増えていき親しくできるきっかけをこの石に貰いました.
この一つ前の投稿のパイロクスマンガン石と同時に掃除しました.表面には肉眼ではわかりませんでしたが多くのゴミが入っていたようで,過酸化水素での掃除の時間は長くなってしまいました.燐灰ウラン鉱は薄くついているため,束子などで擦ることもできず,過酸化水素か,重曹の発泡でゴミを採るしかありませんでした.その後にパイロクスマンガン石とともに写真に撮りましたので下に挙げておきます.
赤いところは鉄礬石榴石.暗灰色で劈開面の発達する部分は白雲母.灰白色でガラス光沢は石英.白色部はやや風化した長石.燐灰ウラン鉱はやや薄い黄色―濃い黄色の部分です.今回は2つ掃除したのですが,一緒に書くと画像が重たく,入りきらなくなるため2つに分けました.