大きな伐採地を過ぎると、真っ暗な植林地帯に入った。初めて来たときにみた山頂直下の湿原?のようなものは無くなっていた。下草の無いやや管理された植林だ。小さなコブを西から巻いて鞍部まで来ると、本梅町井手からの道と合流した。真直ぐ行くのだが、左を取ると二つほど小さなコブを越えて「三ツ石」とか呼ばれる711mのピークに至り、北東尾根を通って数珠山の城跡と先に
瀧ヶ嶺の城山をみて井手に下る。
分岐は直進し、山頂直下の分岐に着いた。
分岐の案内板。向かい来た時は無かった。最近のものらしい。左に少し見えている看板は昔からあった。
山頂で昼食を摂るため分岐を右に取る。山頂直下の登りに「自転車・バイク通行禁止」の札がある。これも昔無かったが、初めて来たとき登山道をマウンテンバイクで降りてきた一行があった。二輪車は車道を走ろう。
山頂直下の急登は僅かな距離だが、笑う足元には響く。おまけに履いているスニーカーは丸坊主で大した所ではないのに良く滑る。
背の低い樹林帯を抜けると山頂部分も伐採されていた。
先に山頂を踏んで昼食を摂った。時間は正午半を過ぎていた。
いつも山に来た時はコンビニの握り飯3つほどで済ましている。荷物にならないようにトレイに入ったものは極力控えるようにしている。
昔と違って展望が良いので一通り展望写真を撮った。肉眼では遠くの山は分からなかったが、東方に愛宕山から地蔵山の稜線、前座の山、遠く大文字山と
比叡山は判別できた。
字が少し小さいので読みにくいかもしれないが、愛宕山方面の写真で、ペイントで記入したもの。
台風が近づいているせいかかなり風が強い。当日は曇り空ではなく良く晴れていたので丁度良かった。
しばし休憩して球顆流紋岩の露頭を探した。山頂の北側に少し露出していて球顆の大きいものが幾つか見られた。
山頂直下の球顆を含む流紋岩。球顆の直径は約30mmで内部は空洞になっていて細かい水晶が空洞の壁に生えていた。母岩はやや風化していて、少し欠いてみると球顆がたやすく外れてしまう。写真はうまく標本サイズに割れてくれたもの。メノウになったものや、豊岡累層のメノウ産地のように沸石化したものは見られなかった。
山頂北東の斜面にあった流紋岩。宮川の尾根や山頂のほかの斜面に転がっているものとは違い、こちらはやや新鮮なもの。風化したものは表面が白っぽくなっているが、これはそこまで行っていない。表面に付着しているものは、割れ目に充填した二酸化マンガンの染みで、やや風化した流紋岩の割れ目にはしっかりとした「しのぶ石」と呼べるような樹枝状のものがたくさん見られた。
下りは、色々考えたが赤熊方面に下りることにした。半国山はたくさんのコースがあり、今回使用した宮川から金輪寺を経て尾根を伝うコース、本梅町井手から正面の谷を詰めて「三ツ石」を経て山頂に至るコース、本梅から畑野に抜ける峠から沢を詰めて山頂に至るコース、東本梅町赤熊から音羽渓谷を経て北尾根を辿るコース、音羽渓谷の一つ北の大平山の城跡を経て北尾根を辿るコース、西本梅から山頂北西の大きな谷を詰めるコース、大河内の別荘地から西尾根に取りつき738m峰を経て山頂に至るコースなどがある。
赤熊に下るとなると山頂の北尾根を辿ることになるが、出だしから間違ってもときた道を戻ってしまった。流紋岩露頭の尾根を経て、最初の分岐を左に採った。少し下るとまた分岐になり、道標は高い方の道に付いていた。尾根の西側を通ってお寺方面に抜ける道の様だったので、道幅の広い下の道を採ることにした。
尾根の山腹をだらだら下り、対岸の大平山が見えてくる。方向は間違っていないので安堵していた。赤熊の奥にある大きな池が見えるところで小休止した。このコースで唯一展望が得られる場所のようだ。
この日、着替えなど一切持っていなかったので、背中から腰にかけて汗疹が出来ていて酷く痒い。ダニに喰われるよりはましなので、その場しのぎでひっかいて、更に下る。
道は赤熊方向の反対方向に巻き始めたので、赤熊には下りないと確信した。
展望地からさきの鼻を巻いた沢付近は、珍しく丹波のチャートが転がっていた。沢の周辺だけのようで、その先はすぐに流紋岩質岩に変わった。流紋岩に取り込まれたのか、あるいは挟まっているだけかもしれない。
更に下ると林道の終点に着いた。やや新しい(というより殆ど利用されていない)林道で轍もあまりない。
そこから約一時間ほどでしたの集落に出そうだったので、宮川付近まで迎えに来て、との連絡をした。道は宮川と赤熊との中間に位置する中野の集落に降りるようだった。
林道は先で二つに分かれ、右を採ると神社に、左は林道入口に行きそうだった。神社なら前の道を高校時代通学路になっていたのでよく知っている。右を採った。すぐに神社の裏に出て鳥獣用の金網を越え、篠山街道に出た。
迎えと連絡を取りながら、荷成山の鞍部を通過。鞍部に昔マンガン鉱山があって、二酸化マンガンや炭マンなどを採掘した跡が車道の脇に今でも残っている。この日は草蒸してヤブになっていたのでよく分からなかったが、下草の無い時期に来ると稲荷神社の南の竹藪の中に一つと、道の北側に2つ。中野の集落側の斜面に1つ。(ここはゴミが詰められて良く分からない)
山の北側の周回道路沿いに2つ坑口が残っている。稼業年は良く分からないが、稼業中に荷成山の鞍部に近い理髪店の駐車場を借りて選鉱していたとか。鉱石は殆ど見られない。
鞍部の先で迎えの車とうまく出合えることができた。強風ではあったが晴天の中充実した山行を終えることができた。
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