五月の連休は本来なら定休日の日も営業していたので、連休後の2日間を代休とした。じつは、大阪ショー前後から全く休暇を取っておらず、ずっと営業していました。山登りも大阪ショーを挟んで一か月近く行っていなかったので、体力面を考慮して急な登り等のない林道歩きをすることにした。
正式名称は忘れましたが、丹波町下山から深見峠を経由して京都市広河原に下る大規模林道の一部を以前に歩いたので、これの続きをどこか辿ってみようと思った。どうせなら礦床探索も兼ねようと、選んだのが知谷峠から原峠だった。知谷峠付近に「知谷鉱山」と「西知谷鉱山」という2か所のマンガン鉱山があって、まだ未訪だった。
いつも通り、車で知谷と脇谷の林道の出合いまで送ってもらった。奥は別荘地のようになっていて林道に車止めは無かった。
この日は平日なので無人の別荘地の中を歩いていくと、すぐに車止めになり、奥の斜面が大きく崩れた、土砂崩れの現場に着いた。復旧は済んでいるようだが、上部に妖しいところがある。
林道は多量の土砂によって寸断されているが、谷沿いを確認するとややヤブ化した道が奥に続いていた。
右へ行くとマンガン山があるはずなんだが・・・
林道は土砂崩れの現場からわずかで終点になった。左手の雑木林の中に峠に登っていく踏み跡があり、礦床探索のため、右手の谷に入った。消える寸前の杣道を見つけ、高度を稼ぐ。二股まで来ると先はヤブになり、踏み跡は消えてしまった。
谷に幾つか転がっていた鉱石も二股のところで消えてしまった。周囲をずいぶんを探してみたが、坑口のようなものは無く、時間がもったいないので、下流域で鉱石を探した。
土砂崩れの現場から少し下ったところに鉱石のかたまっているところがあって、ここで少し鉱石を探してみた。
無色に近い層状炭マンに赤い染みができている汚いものはあったが、層状のカリオピライトを少量見たのみだった。
Caryopilite カリオピライト。菱マンガン鉱と互層をなしている。部分的に灰緑色の小粒で重晶石を伴っている。
土砂崩れの現場から尾根付近にある林道を目指す。一度脇谷の林道の入り口まで戻って再度登りなおすのも選択肢の一つとしてあったが、歩行距離が延びるのが癪だったので、どこか取りつけそうな尾根を探すことになった。
土砂崩れの谷の東に鉄塔があり、これの巡視道の入り口を見つけたのでこれを辿ってみた。
小さい谷を詰めていくと間もなく源頭になり東隣の沢の源頭も見えている。隣の沢の源頭部がやや平坦になっていて、旧坑の跡かと期待を持って見に行ったが、炭焼きの跡だった。
炭焼窯の上方に鉄塔が見えていて、すぐに鉄塔に着いた。鉄塔と炭焼窯跡との間に一か所、砥石の掘り跡があった。
鉄塔から林道までは巡視道をたどった。尾根がやや平坦になってくると登りが緩くなって林道との分岐になった。
分岐から少し進むと正面に土砂崩れの現場が見えてきた。下ばかり見ながら1つ目の谷を横切ったところに硬質の二酸化マンガンがいくつか落ちていた。鉱床かあるいはどこかから持ってきたバラスか思われたが、どうも礦床のようだ。脇の林道カット面が層状チャートで二酸化マンガンで焼けているのも多く見られた。チャートの酸化帯もありそうで、層状チャートを幾つか割ってみたが燐酸塩鉱物は見られなかった。
露頭からすぐで広域林道との出合となった。
林道出合から正面に見えてくる点名 脇谷を目指す。点名 脇谷はWebで調べると「タキノウエ」「タジリバタノウエ」とか呼ばれている山で、今回行かなければ二度と行かないだろうと思い、寄ってみることにした。
東と南に展望が広がる林道を北上すると林道鞍部になり、東に派生する尾根を辿った。入り口はヤブ、尾根上の小さなコブを越えると鞍部になり、ヤブは消えて歩きやすくなった。
次のピークが若干高く、山頂のようだ。先行者テープが少量残っていて、わずかな登りで山頂になった。南向きの三等三角点だった。
林道から「タキノウエ」(点名 脇谷)。麓からなかなか望めない山で、写真を掲載しているWebページもほとんどなかった。
点名 脇谷(タキノウエ)山頂。植林帯で展望は無い。風がやや通り涼しい山頂だった。
知谷峠から原峠へ2 に続く。
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