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雪中の鉢伏山にて1

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 先週の中ごろ、川浦鉱山にて調査するとかいうことで召集された。川浦鉱山は超丹波帯長尾山層の緑色岩中の含銅鉛亜鉛石英脈で、山吹をしていたらしく傍を流れる沢にはカラミ(鉱滓)が流れている。

 昨年に梅ヶ谷から鉢伏山から明ヶ田尾山に遊びに行ったときに、大水でズリが流されたのを確認していて、それもあっての召集だったのと思う。


 週末降った雪が余り溶けていない豊能高山を南下し、箕面ダムの上流まで送ってもらった。約束の時間まで2時間ほどあったので、記念の森方面から鉢伏山を経て梅ヶ谷に下ってみた。

 

記念の森の手前の遊歩道から入った。すでに積雪が目立つ。

登山道にに入る前に一悶着。送りの車がアイスバーンの中に突入。当然滑ってどうすることもできない。デイバックに入れているピックハンマーでアイスバーンをガリガリ削りながら、なんとか脱出することができた。




足跡の多い公園から展望櫓を見る。近づいてみたが、植林帯より積雪が深かったため、敬遠した。


 公園の奥から道標に従って北に延びる尾根に取りついた。足跡が車の轍のようになっていて非常に滑る。アイゼンが必要だ。(この日の足元はただのスニーカー) 木々がまばらになってきて正面に鉄塔が見えてきた。

 よく踏まれた部分はアイスバーンになっていて怖いから、靴の中に雪が入ってもいいから、滑べりにくい残雪の中に足を突っ込んで歩いた。



縦走路はごらんのように真っ白け。地表が出てる面は一面霜柱になっていた。


 一面真っ白けの尾根を方向を見失わずに進むと、見覚えある分岐に着いた。

 ここから鉢伏山までうまく先行者の踏み跡が続いていたので、これを辿ると山頂に着いた。



鉢伏山山頂。真っ白け。山頂から分岐方面を望む。


 山頂は時折西から吹いてくる強風が強烈に寒く、足元も気になり始めたのでさっさと山を下りる。登っているときは重心をやや前方にもっていくと滑らず登れたが、問題は下り。無積雪期なら難なく下れるちょっとした下りでもアイスバーンになった斜面は恐ろしい。しかも足元はスニーカー。

 唯一の救いは掴まる木が多いことだった。下るときは細心の注意をして慎重に下る。やや緩い登りになるとほっとするを繰り返した。

 梅ヶ谷に下る急坂は難儀した。何度も滑りかけては木々に掴まってしのぐことができた。秋に行ったときハメ(マムシ)に出くわした斜面を無事過ぎ、分岐に下れた。ここまでは全く転倒していない。



梅ヶ谷上流部付近。ここも真っ白け。MTBか二輪車系の乗物が通った轍が残っている以外は何もなく、当然靴の中は雪だらけ。


 梅ヶ谷出合に下る。部分的に積雪が残って滑落が恐ろしいところは、沢に降りて直接下って行った。

 入り口の崩れた坑口の前あたりで連絡が入った。バス停からだらだら歩いているとのこと。しばらく近くで待っていたが、なかなか来なかったため出合までくだった。入り口付近には積雪は無かった。


雪中の鉢伏山にて2 に続く。



店舗内の新着商品情報(店舗内の小売の分)


Orpiment 石黄 青森県恐山温泉 産 プラスチック製丸箱満杯入り。金平糖状の集合体の細かいものを丸箱一杯分。各¥1,000


Opal 貴蛋白石 Queretaro. Mexico.産 プラスチック製パック入り。流紋岩中の空隙を満たす膠着物質として。 各¥800


  

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雪中の鉢伏山にて2

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 昨日の続きです。


 梅ヶ谷口でやっと合流して、再び山に入る。(参加者は筆者含めて5名) 上空がようやく明るくなってきて、沢に沿って登って行った石垣の上が暖かいのでここで昼食となった。

 この付近の緑色岩は熱変成を受けているらしく、白色部に石榴石や灰鉄輝石ができている。河床に花崗斑岩脈が貫入しているということは手持ちの地質図で確認していたが、現場では沢が昨年の大水で荒れていてよくわからなかった。


 昼食が終わり、背後にある大きなズリを登っていく。このズリは本当の意味でのズリで細かい岩片などで構成されていてほとんど鉱石になるようなものは落ちていない。ズリの上は比較的扁平で、中途半端に植林されている。坑口は奥へ進むと沢に出て、対岸のナメ滝の横に開いている。坑口のすぐ上には梅ヶ谷から鉢伏山及び明ヶ田尾山への縦走路が通っているため、登山道から坑口は見えない。

 坑口の前は沢で特筆できるような鉱石もなく、上流にある別の坑口のズリまで沢を歩いていく。沢といっても多くが伏流水になっているらしく水の流れは無い。

 下の坑口から20mほどで貫入岩脈の露頭があった。地質図では花崗斑岩の記載があるが、流紋岩質の凝灰岩か流紋岩に近いような岩石で、能勢町長谷のような大きな斑晶の長石が見られた。

 この露頭の上部の沢に二次鉱物の付いた石が流れてきている。一番多いのが異極鉱で、緑色岩の空隙を埋めているものや表面を覆っているもの。他の銅の二次鉱物を含んでいるのか、青くなったものなどが見られた。


 初成鉱物はスカルン化して緑簾石が多くなった緑色岩を切る脈として閃亜鉛鉱や黄銅鉱が、珪質泥岩中の石英脈に劈開のはっきりした方鉛鉱などが見られた。昨年秋に訪れた時に見つけた安四面銅鉱や輝銅鉱類は見つけられなかった。

 ほかの二次鉱物はどう見ても硫カドミウム鉱としか思えないようなカドミウムイエローの被膜や、方鉛鉱・閃亜鉛鉱脈と母岩の境界が腐って空隙ができている中に、明礬石類と思われる黄色の粉末が見られた。ブロシャン銅鉱が多くみられる母岩には青鉛鉱とカレドニア石?が一緒についているもの。量は少ないものの上記、異極鉱を伴ってザラメ状の白鉛鉱があった。もっとも普通にある鉱物は珪孔雀石、脈石鉱物は灰鉄輝石だった。

 

 上の坑口まで登っていくと下の方で話し声がする。さっきの岩脈の露頭で引っかかっているようだった。筆者のまわりは2人しかおらず、適当に切り上げて、石垣のところまで戻った。


 引き上げるとき高山方面に一人で歩くか、皆で京都まわりで帰るか迷ったが途中の清水谷で、北摂霊園を経て高山に下ろうと思いここで別れた。


雪中の鉢伏山にて3に続く。


(川浦鉱山の鉱物)



Linarite&Brochantite 青鉛鉱とブロシャン銅鉱

緑色岩を切る石英脈のやや分解した部分に少量の珪孔雀石、孔雀石などを伴っている。黒色部は主に閃亜鉛鉱でそばにこまかい黄銅鉱を伴っている。




Hemimorphite 異極鉱

 緑色岩上を覆う白色~淡青色の被膜をなすもの。色の起源は銅イオンと思われる。



Galena 方鉛鉱

 大阪北部の銅鉱床には光物が少ない。二次鉱物が多い中でこの方鉛鉱はなかなかのものだった。緑色岩中の方鉛鉱閃亜鉛鉱からなる脈で、ほかの面に白色の硫酸鉛鉱あるいは白鉛鉱を伴っている。画像では分かりにくいが、ルーペで顕著な劈開が観察できる。



Pyrite 黄鉄鉱

 閃亜鉛鉱―方鉛鉱―石英脈のやや分解した脈に埋もれていたもの。見つけた時に光の加減で黄銅鉱と見誤った。掃除して改めて観て黄鉄鉱だった。この鉱床の初成鉱物で自形結晶する鉱物は少ない。



明礬石類鉱物

 上記方鉛鉱を伴う分解した脈の空隙に生成したもの。裏側に方鉛鉱と閃亜鉛鉱がついている。たぶん鉄明礬石だろうとおもうが、もっと珍しい鉱物であってほしい。



Hedenbergite 灰鉄輝石

 鉱床とは関係なく広く産出する。表面はやや酸化鉄で汚れている。当地では結晶の粗いものは少なく、写真のようなものは稀。優白色部を近くに伴うものには白色部にこまかい石榴石を含んでいることがある。


(最近の店内の新着商品1)

昨年にリストだけ公表してしばらく経ちますが、ようやく整理がついてきました。

少しずつ紹介していきたいと思っています。

(このリストの商品は通販対象商品ではありません)


Ulexite 曹灰硼石 Seales lake,CF. USA. 一名「テレビ石」、乾燥地帯に産するやや湿気に弱い鉱物です。繊維の方向の直角方面を研磨して字が浮かび上がって見えるものです。石の透明度により、¥800~¥1500


Spessartine 満礬石榴石 愛知県音羽町久田野 産 領家帯の変成マンガン鉱床のものです。ペグマタイト質の珪岩中に含マンガン角閃石を伴う淡赤褐色透明~半透明の粒状結晶をなすもの。結晶の大きさは最大8mm前後。母岩の大きさやついている量によって価格が変化。¥800~¥2,000


Galena 方鉛鉱 岐阜県神岡鉱山 産 杢地鉱のような母岩に劈開の顕著な方鉛鉱が塊状で入ったもの。部分的に赤褐色~黄褐色の鼈甲亜鉛を伴っている。母岩5㎝×3㎝×3㎝前後で¥800均一


 

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雪中の鉢伏山にて3

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 ここのところ続きが書けておらず、3月になってしまいました。「2」の続きです。


 川浦鉱山からダムのほうへ歩き、途中の清水谷から北摂霊園方面にとりました。こっちも積雪があるのは予想していましたが、元来た道を余野に向けて車道歩きでは何とも面白くないので、峰伝いに行くことにした。

 清水谷は東西に細長い谷で、はじめのうちは平坦で道幅が狭くなってくると尾根が見えてきて尾根直下だけ急登になった。林道が細くなったあたりから積雪が目立ち始め、分岐に着くころには先程の鉢伏山程度の積雪になった。

 尾根にさっさと出たかったので、尾根の鞍部方面にとった。鞍部は先行者の靴跡だらけでアイスバーンになっていた。



アイスバーンで凍てまくりの峠。


 ついでだからと、最勝ヶ峰を往復する。山頂手前の露岩のところはすでに雪は無く、一息つけたが先の階段のところが、凍てていて最悪の状態になっていた。新雪の上を足が湿るのを覚悟で登って行った。



山頂手前の露岩。奥の階段が怖かった。


 ようやく墓所が見えてきて山頂に着いた。展望は無く、ただ広い感じがした。



最勝ヶ峰(標高540m)山頂の墓所。


 問題は帰りだった。手前の階段の部分が凍ての斜面になっている。以前やっていたように滑って下りるのもいいのだが、高さと勾配があるので結局、足元が湿るのを覚悟で、山林の中の新雪の上を膝近くまで突っ込んで滑落しないように下りた。

 ここで戻って車道歩きの選択肢も脳裏をよぎったが、やはり予定通りに北摂霊園を目指した。



 もはや足元の感覚は無く、体力が続く限り登って行った。アイスバーンになっている坂は巻いて新雪の中を強行しようやく展望の好い場所に出た。先行者の轍の跡があったので寄れた。



尾根の展望地。


 西からの風が時折強く吹き、足元も覚束ない上日暮れも近く少々焦ったが、ようやく西側が明るくなり、霊園の一角が見えてきた。尾根上のコブをいくつか巻き、やっと霊園の上部に出た。

 もうここからは下りの車道歩きをしようと思い下って行った。途中、高山方面にとり、在所に下った。公民館の前の自販機でコーヒーを2本仕入れ、高山から余野方面に下って行った。

 在所の北の端で「戸知山」の登山口を確認した。いつか行ってみようと思う。


 迎えの車は金石橋の手前で出会うことができた。結局のところ初めから最後まで転倒せずに帰ってこれた。



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猪名川町万善から能勢町長谷へ1

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 今週はじめ雨が止みそうなので、どこかぶらり山中を徘徊したいと思い、銀山北方の大日山や一本松山を巡ってみようと思い立った。


 間歩がたくさんあるのは分かっていたが、単純にこのあたりの山には登ったことがなかった。昨年初夏のころから山歩きを本格的に再開して、北摂の山も未登頂が少なくなってきた。基本的にはハイキングコースが設置してある山に登ろうと思っているが、だんだん少なくなってきて最近はヤブ山が多くなってきている。今回の山行もヤブ漕ぎが主体となってしまった。

 猪名川の道の駅まで送ってもらって、ここから歩くことにした。


入り口。向かって左手の道もあるが、同じところに出る。

 万善橋の向かいの団地にある「歴史街道」のコンクリ道をとった。すぐに川沿いの径になりわずかな距離で間歩の前にでた。



銀ひ(ひは金偏に通)の坑口。口が開いているのが分かるのはこれ一つで1:50000「広根」地質図幅に記載があるのに、ずいぶんショボイ間歩だ。尾根を挟んだ西側にもありそう。ズリは坑の前にあるが、色気がない。


 銀ひ(ひは金偏に通)は方鉛鉱中の銀を採掘したと思われる。方鉛鉱中にはよく顕微鏡サイズの濃紅銀鉱が含まれていて銀鉱石として採掘されることが多い。ここもそうかもしれない。カラミが少ないので山吹はやっていないようだ。青物がほとんどなく、今回は趣旨が違うのでさっさと横切って奥に進んだ。しかし足元ばかり気にとられて谷沿いの道に進んでしまった。(谷の奥には間歩はない)

 正規ルートは尾根を巻いて禿げた尾根道へ進んでいる。戻って再び尾根道を辿るのはだるいので、適当に尾根に取りついてヤブ漕ぎをした。熱水の影響で変質しボロボロになった尾根はアルプスでよく見る二重山稜のようになっていて、背丈の低いシダに覆われていた。ヤブの中から古い杣道を見出しやや明るくなったシダのヤブを越えると正規ルートの尾根道に出た。

 禿げて明るい尾根をだらだら歩いていると、中高年のグループが山を下りてきた。筆者の山行では平日に来ているため、山中で人に会うことがめったにない。道は尾根を右から巻くと銀山峠に着いた。




銀山峠(というらしい)。


 さきに大日山(339.8m)を目指す。峠から西に入り踏み跡ははっきりしているものの張り出した枝や足元を覆うようなシダ帯の箇所があり少々登りにくい。標高約310mピークまではやや急な登りで足元がぬかるんでいる所為かよく滑る。尾根が西向きになるとようやく平坦になってピークに着いた。周りの木々はところどころ煤だらけで、山火事があったもようだ。尾根はやや北向きに変え、正面に見えている鉄塔に向かって下って行った。

 鉄塔付近が最も展望が利いた。鉄塔から数メートル進んだ尾根のコブくらいまでは展望があった。鉄塔の手前に沢に下っていく道が登ってきていて、帰りはこれを取った。

 鉄塔のコブから一度下り、鞍部から先の径が細くなってきた。大日山の北東の山腹を巻くようになって、下り始めたので尾根筋に戻り、尾根を直登すると北から登ってきているややはっきりした道と合流した。ここから山頂までは一登りだった。



大日山山頂。展望はあまりない。広さは5~6人たむろできるくらい。


 ほとんど風のない山頂で休憩して銀山峠に戻った。


猪名川町万善から能勢町長谷へ 2 に続く。


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猪名川町万善から能勢町長谷へ2

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 きのうの続きです。


 大日山で少し休憩して一度、峠まで戻る。鉄塔から谷へ下り村上新田へ向かう。途中に2つほど谷の源頭を通過し村上新田の池の分岐に着いた。仮に鞍部から谷に沿ってずっと下っていけば、玄能間歩に至る。

 ここから峠に出て、行きと反対方向の尾根に進んだ。こちらも大日山の尾根同様に背丈の低いシダ類に覆われていて、足元も悪い。麓の道の駅からみるとかなり尖がった山が一本松山で、標高は低いものの登るのはきつそうに見えたが、実際に峠から登ってみると大した登りもなく、わずかな登りで山頂部だけスギ山になっている山頂に着いた。

 

一本松山(標高301.3m)山頂。


 展望は無く、南東方面に下るわずかな踏み跡が先に続いている程度だった。山頂は無風でまともにスギ花粉が下りてくるみたいで、さっそくくしゃみを鼻づまりが始まった。尾根筋は強風に近い風が出ていたので、さっさと山を下りた。

 また銀山峠に戻り、万善橋を目指した。今度は逆コースなので展望がまともに得られる。熱水の影響かボロボロになった稜線を下っていく。



峠の北側尾根。見てのとおり少々禿げている。右手は鉱害防止工事の跡のようで規則的な段々と脇に側溝が作られている。


 尾根を回り込んで、元来た入り口に着く。本日の予定はこれだけだったが、まだ13時過ぎだったので、近くの山王山に行くことにした。

 山王山は南麓に柿ノ木鉱山、東麓に八畳幕鉱山、西麓に槻並鉱山と鉱山に囲まれた山だ。

 屏風岩のバス停から槻並川に沿って遡る。次の橋で川を渡り、清掃工場のほうへとった。このあたりも間歩が多く、憩いの家があるあたりに権現鉱山、坊主山の南斜面に風呂ヶ谷間歩、橋を渡ったところから南北に幾つか穴のある屏風岩鉱山などがあった。

 山王山へは、柿ノ木鉱山のズリ山から取りついた。昨年秋の大水で若干荒れていたが、相変わらず何もないズリで、奥の台地に向かって右側の石垣の上に斜坑一つと左側にコンクリで蓋をした大きな坑口がある。

 取りつきは左右の坑口の真ん中を採った。すでに先行者がつけたと思われる径が斜面奥にかすかに残っている。

 下の坑口から20mほど登ったところにまた2つ坑口があった。これより上には踏み跡がなく、山頂から南南西に張り出している尾根に取りついた。道などは当然なく、ヤブ漕ぎの連続だった。

 尾根をしばらく徘徊して、徐々に高度を稼ぐがなかなか山頂に着かない。尾根に取りついてすぐ山頂のような思い込みがあった。

 南東から尾根が合流してきて、登りがやや緩くなってくると稜線の踏み跡も明瞭になってきた。

 登りが緩くなってからすぐに山頂に着いた。



山王山(標高300.6m)山頂。


 高さは300mをわずかに越える程度の低山で、また明確な道もないヤブ山に先行者の山名プレートが以外にもたくさんあった。


猪名川町万善から能勢町長谷へ3 に続く。

 

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原谷から衣笠山へ1

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 今週のはじめ、最後の積雪かと思われるような日があった。花粉が飛んでいない日はというと、こういうときしかなかった。ちょうど京都市内に行く用事があり、便乗して北大路千本まで送ってもらった。

 時折降雪まじりの日だったが、雨よりましということで未踏の船岡山に向かった。北大路はかつて車でよく通ったが、山に行く用事がなくいままで行ったことがなかった。

 御室の双ヶ丘でも最近の訪問で都会のど真ん中に自然が残されている数少ない場所だった。ここもそうかもしれないという思い込みもあったが、公園になっていた。見た目的に古代の城跡があるという感じがしてた。公園から山頂に立ったが、城郭を示すようなものは特になく、南面に立派なチャートの露頭があったくらいだった。



船岡山山頂(111m) 白い点々は撮影時降り出した牡丹雪。




南面のチャート露頭。一部に層状の部分があり薄い泥質岩を挟んでいる。街の真ん中にこういう露頭があるのはここくらいだ。


 建勲神社の南側を少し歩いていると北側に磐座があるようで、赤い柵に囲まれていた。参道から見ているとお宮の裏の尾根が郭のようになっていて小規模な堀切もみられた。少しは残っているようだ。

 どこに出るのかわからなかったので、来た道を戻った。


 山を下りて、北大路を西進した。金閣の前で観光客に混じり、氷室道をとる。原谷への道に入ると観光客の姿は消え、ほとんど歩く人もない峠道を進んだ。峠に差し掛かると本降りのような勢いで雪が強くなってきた。

 いつも身に着けているコートはフードがついていたため頭部が濡れることはなかったが、いつも持ち歩いている黒い手提げかばんは雪がこびりついて真っ白になっていた。


 金閣方面から原谷へ至る峠は「失業対策峠」というらしい。もちろん地形図には掲載がない。金閣から原谷へは初めて「金閣寺鉱山」に訪山した際に通った。このときは夏だった。小さな堰堤の上でパイロクロアイトと炭マンからなる鉱石が腐ったものがよく見られた。沢の水に浸かった高品位鉱石には被膜状の緑マンガン鉱が入っていた。後日ほとんどの緑マンガン鉱は黒くなってしまったが、一つだけアクリルに封入したものがあって未だに割った当時の色を保っている。また未確認の情報で峠の南尾根付近で昔、細かい水晶が出たそうだ。現場は確認していないが、結構たくさんあったとのことた。


 峠を下りてコンビニのある交差点まで来たときには更に、強くなってきて前が見えないほどになった。原谷からはもう一つ峠を越えて仁和寺方面に行く予定だったので、時間がもったいないから無理やり進んだ。

 峠に差し掛かったころには小降りなってきて、成就山山頂(236m)に着いた頃には止んでいた。



真っ白になった原谷の峠。



ここもうっすら積雪している。成就山山頂。



山頂から竜安寺方面を展望。


 チャートの露岩が多く滑りやすい山道を下り峠に戻ってきた。ようやく薄日が差してきて、明るくなってきた。もう降らないだろうと判断し、手書きの案内プレートのある東の尾根に取りついた。

 どうも衣笠山方面に峰伝いに抜けられそうなので、案内板に従ってこの道を進んだ。


原谷から衣笠山へ2 に続く。

 


 

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原谷から衣笠山へ2

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前回のつづきです。


 展望の好い尾根を下っていくと衣笠側が伐採されていて、雪のかぶった比叡山が望め、次のピークまで伐採されていた。次のピークは今回の山行で最高地点だが、展望はなく道標も見当たらない。境界杭の南側が若干高く、展望は無いが、郭のような明らかな段差があった。

 ピークで分岐になり直進すると波切不動尊に至り、右へとると御陵にいたる。もう少し縦走したいので右を採った。

 登り返すと火葬塚で参道を下っていくと衣笠山分岐になった。一旦鞍部に下りやや急な坂を登り返すと衣笠山山頂に着いた。

 

衣笠山(201m)山頂。周囲は明るいが展望は無い。


 衣笠山からは東に派生する尾根を辿り、急勾配の坂(非常に滑る)を下ると保育園の前に出た。

 まだ時間があったので、北山鉱山を探しに行く。登山口からわずかに登ったところから山腹を縫うように山道がついている。小さな沢を通りこすと鞍部になり、直進せずに東に張り出した尾根の突端部まで行ってみた。

 中世の山城のような段々があり城跡かと思い、ほかの遺構を探すが見つからない。元に戻って、段々の一番上に凹部があった。その下すぐに二酸化マンガンがいくつか挟まっていた。チャート中のぼそぼその二酸化マンガンで、重みは十分あった。

 この場所から尾根の突端部まで行くと中学校の校舎が見え、斜面になったくらいのところに8m×10mくらい露天掘りしたような跡があった。

 抉った跡には二酸化マンガンは挟まっていなかったが、尾根に戻ってみると上部にはやはり二酸化マンガンが見つかった。

 

露天掘りしたような場所。


 衣笠山を後にして、仁和寺前から双ヶ丘を通って帰った。


 昨年秋に来たとき大勢登ってきていたが、今回は独りだけの寂しい山頂だった。降雪の後、急に北風が強くなってきて早々に退散した。

 ようやく駅に到着したころには、清々しい冬晴になっていた。


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久々の四国へ1

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 先月から数人で行く予定になっていた四国巡検に行ってきました。今回は1泊2日で7名の参加だった。一日目は高知道を南下して土佐穴内鉱山に行く予定で、時間が余り次第ほかのところに行くことになっていた。宿は新居浜市内にとってあるらしい。


 久々に午前4時に起床し、6時に待ち合わせの場所に着いた。ここからは淡路を通って四国入りになる。淡路島はあまり高い山がなく、三原町まで来るとやっと尾根が平たい諭鶴羽山地が見えてきた。これの裏側に中央構造線が通っていて、南の沼島には結晶片岩が出ているらしい。

 北側の山地には鉱物産地のようなところは少なく、賀集炭鉱や高萩炭鉱、津井炭鉱、丸山炭鉱などいくつかの亜炭を採掘したところがあったに過ぎない。



朝8時頃の明石海峡大橋。帰りもここによることになる。



脇町IC付近から高越山


 「渦潮が見られるかもしれない」と車内で話題になり、身を乗り出して橋の下を見ようとしたが、よくわからなかった。白いあぶくが筋状になっているのが見えるから流れは速そうだ。

 高松道の板野ICから徳島道に乗り継ぎをする。昔何度か通ったが、こんなに信号が多かったのか、よく渋滞している。

 徳島道を西進し、ようやく四国山地の高い山が見えてくる。どういうわけか京都には1000mを超える山が無い。全く無い。普段から登山の真似事をしているので1000mを超える山にはあこがれがあった。

 海抜の高い結晶片岩の山には高越鉱山や東山鉱山、野々脇鉱山などの含銅硫化鉄鉱礦床があって、「ハネコミ」目当てでずいぶん通った。

 初めて四国に渡ったときに高越鉱山で斑銅鉱からなるハネコミを採集した、高越山が見えてきた。標高100m前後の平野部から一気に1100mの高さまでそびえていて、さらに山頂付近には寺まである。この日の高越山は山頂付近は雪化粧していた。

 吉野川SAで休憩になった。穴内鉱山周辺では昼食を買うところがないので、ここで仕入れておくよう伝言した。

 

 高知道に入り長いトンネルを5つほど越えると高知県に入った。県境付近に徳島から続く銅鉱床がいくつかあって、行く機会をうかがっていたが、未だ行けていない。高知側にアザミ谷鉱山、大名沢鉱山、千本鉱山、八丁山鉱山、愛媛県側に三立鉱山、大正年間に稼業していた三足鉱山などがあった。

 立川PAで最後の休憩をとり、大豊ICで国道32号に出た。穴内ダムの堰堤が見えてきてようやく入り口に着いた。

 ここから目的地は案外遠かった。古いダムのようで山裾に沿って道がつけられているため走行距離は相当あった。陽が高くなってきて両国橋が前方に見えてきた。車内で鉱山遺構の話などで盛り上がっていたらものの数分で目的地に着いた。車道の脇に何とか2台止められた。


 久々の四国へ 2に続く。


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掛橋谷山と鴨瀬谷山とお化け緑マン1

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 今日は清清しい晴天に恵まれたので、積雪の心配が多少残る京都北山に出かけた。以前に八丁林道から佐々里に抜けようと試みて大規模林道を右往左往したことがあったが、今日はここを通ることになった。

 車で深見峠トンネル南口手前まで送ってもらい、男鹿谷林道から峠を目指した。



男鹿谷の入口


 枝打ちと下草のないスギ林の中の林道で、気分がいい。はじめのうちは緩やかな登りだったが、小竹谷の分岐からやや急になってくる。このあたりに男鹿谷鉱山というマンガン山があってこれの探索も兼ねていた。林道の脇に降水のときだけ現れると思われる一筋の大きなナメ滝があった。



小竹谷のナメ滝。上部から下までは落差目視で40mはあるだろう。


 ナメ滝から先はいよいよ急登になり林道は沢が尾根を北に巻いた辺りで終点になり、先に2つ堰堤が見えた。ここから戻って男鹿峠に向かうのは癪なのでこのまま堰堤を巻けそうなところを探して登る。堰堤の上は三俣になっていて真ん中の谷は奥に巻けそうにない大きな堰堤があり、右はすぐに源頭でどこに出るのか不安があったので、左の沢を詰めた。尾根が見えていたので急登なのは当然だが、斜面がはっきりしているしているためここを直登した。

 層状チャートの露頭がある男鹿峠の南にある尾根の鼻についた。露岩の目立つ痩せ尾根を北へ辿ると林道のカット面の真上に出た。


 

林道出合。


 横滑りしそうなカット面際を注意して下る。林道脇に積雪の残る部分からやっと林道に降り立った。

 掛橋谷山は対岸のカット面際を登っていく。展望がいいのはカット面際だけで美山町側は植林で全く展望は無い。ここからしばらくで掛橋谷山(765m)山頂に着いた。



掛橋谷山(765m)山頂。全く展望は無し。


 山頂でちょうどお昼になったのでここで昼食をとった。時折吹いてくる北風がまだまだ冷たく、早く山を降りるために食を急ぐ。北風が辛くなってきたのでさっさと山を下りた。ここから鴨瀬谷山までひたすら林道歩きになった。


掛橋谷山と鴨瀬谷山とお化け緑マン2に続く。






掛橋谷山と鴨瀬谷山とお化け緑マン2

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 林道をひたすら歩く。だらだら歩いていると方向感覚がマヒしてくるので、尾根に取り付きたいが、昨日の雨で足元が悪いため地形図とにらめっこしながら先へ進む。山ばかりの展望を楽しみながらようやく八丁林道との出合になった。

 八丁林道は相変わらず通行止めで、崩土の部分もあるようだ。これから目指すコシキ峠方面は頑丈な鉄門に阻まれて、さらにその先は路面を広く積雪が覆っているため、鉄門すぐ南の尾根から独標770m峰方面に取り付く。手前の峰はやや痩せた尾根で少々ヤブっていた。一度鞍部に下り、登り返すとそれらしきピークに着いた。ここは下草もない明るいピークだがここでも北風が強く一気に通り過ぎる。



独標770m峰。かつてはササヤブだったはず。野鹿に食われて禿げてしまったようだ。


 林道まではわずかな下りだった。またここから林道歩きだが距離はそんなになかった。林道が大きく南尾根を巻く手前のカット面から再び取り付くと砥石を掘ったような平坦な面が南斜面に広がり、その先やや緩く登ると鴨瀬谷山(778m)に着いた。地形図には「鴨瀬芦谷山」とあり別の資料では「シライシ」、地元では「砥石山」と聴いた。この山の主稜線はふもとからどこが山頂か見分けがつきにくいと思われるため、特定のピーク名は曖昧のような気がする。

 「シライシ」は明らかに独標770m峰のほうが似合っていて、尾根の入り口から頂上部まで白っぽい珪質岩の破片が非常に多くみられた。

 鴨瀬谷山山頂部は手前に砥石を掘ったような平坦地があった。やはりここは「砥石山」のようだ。



鴨瀬谷山(778m)山頂。こちらも展望は悪い。


 山頂の三角点に軽くタッチして、山頂を後にした。林道のカット面は地形図の破線を横切っているとふみ、もと来た道を戻る。予想した通り、南の尾根の破線部の道は大きくカットされていた。

 この破線は八丁大道で廃村八丁に至る街道で、予定通り分岐を右に採った。



八丁大道分岐。分岐から南の尾根しばらくは展望のよい造成地で、先ほど登った鴨瀬谷山やコシキ峠の奥にソトバ山が見えていた。


 林道造成でできた展望のよい台地から山林にはいるとかつての峠道が現れた。ここから尾根を伝って千谷山まで足を延ばすつもりでいた。東塚谷峠まで足元が緩いため何度も滑ってこけた。峠から610m等高線尾根に取り付く。ここもぬかって歩きにくい。この610m等高線尾根を過ぎると千谷山まで600mを超すコブは無いようで、楽を望んで足が速くなった。

 標高600m前後の尾根は東西に細長く、ヤブは少ないものの歩く人が少ない所為か歩きにくい。尾根が南向きになったところで下りになった。少し下ったところで気になる凹地が南の斜面にあるのを見つけた。二酸化マンガンの坑口だった。ここで予定を変更して坑口探索になった。



二酸化マンガンの坑口。手前にやや硬質の二酸化マンガンが転がっている。


 坑口は上に一つと支尾根を下がったところに2つあった。(写真は下の坑口。写真では見にくいが2つ並んでいる。)まだあるはずと思い、直接谷に下った。鴨瀬谷山の南尾根を西に下ったので、八丁林道のどこかに出ると思い、行けるところまで行くことにした。

 予定を変更して下山を試みたこの支尾根、とんでもない支尾根で斜度50度を超すような斜面になり、谷に消えていた。しっかりした若木も少なく、まばらに生えた持ちやすそうな木にへばりつきながら、再三の注意を払いやっとの思いで谷に下りた。谷も当然道などは皆無で細い淵になったところや巻けそうもなさそうな急な渓流瀑もいくつも越えた。濡れることなんて脳裏にはすでになく気付いた時には、足元は泥だらけだった。二酸化の坑口から無理やり谷に下りて本流と思われる沢と合流する少し手前の左岸にやや立派な層状チャートがあり、ここに炭マンの坑口があった。



炭マンの坑口。写真右手が東の方向、左は西の方向。左右2つあいていてすぐ下が沢だった。坑口の北側にも一つ坑口を確認した。


 鉱石は少なく、2つの坑口のすぐ下で赤鉄鉱の赤い染みを帯びた部分のある脈状の菱マンガン鉱を一つ拾った。さらに下の支流の合流地点(2つの坑口から約20mくらい進んだ川原)でモンスター級?のお化け緑マンを採集できた。



お化け緑マン。炭マンに伴うチョコレート鉱がそのまま緑マンガン鉱になったような石。内部まですべて緑マンガン鉱だった。割っているときすでにその兆候は出ていて、割り端が緑色になっているのが不思議だった。



お化け緑マン。帰ってから洗ってみた。中央は一円玉。もう少ししたら本物のお化けのようにこの美しい緑色はきえてしまう運命だ。


 ただ緑マンガン鉱を含むような高品位マンガン鉱石はこれ一つだった。沢をさらに下りていくと2つ真新しい堰堤が二つ出来ていて、工事用の道を下ると八丁林道の簡易水道の前に出た。鉱山名は今のところ不明で、沢の名前を探そうと思い、真新しい堰堤のプレートを視たがわからなかった。

 下山予定時刻(いつも午後4時)ほほちょうどで八丁林道の入り口に着いた。迎えのTellを入れ、小浜街道をだらだら歩いて南下する。



八丁林道入口。やはり通行止。途中の伐採地の横では路肩が崩れていて電柱が川に横たわっていた。


 迎えの車に出会ったのは、下中の郵便局の手前だった。




 

久々の四国にて2

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 一昨日行った掛橋谷山と鴨瀬谷山で中断してましたが、再開です。


 穴内ダムの脇にちょうど2台分駐車できて、向かいの谷に入っていく。過去2回ともに夏場で、強烈なヤブに見舞われたが、今回は枯れた雑木だけでイバラにも悩まされなかった。(とは言っても入り口はイバラがあったが)

 ここには塊状の紅簾石が出ている。西方の鳳の森坑から報告されたストロンチウム緑簾石とは見分けがつかない。塊状の一部分には晶洞の空隙を方解石で埋めているものがあり、塩酸で処理すると下の写真のような結晶が見られることもある。

 この塊を切ってくる脈にオレンジ色のヒョロヒョロした細脈が入ってきていて、以前にXRDで確認したところ南部石だった。ある程度の塊になっていると、ふつうの菱マンガン鉱であることが多く、南部石は少ない。

 南部石脈や石英脈の入った紅簾石の一部分があずき色に変質していて、割れ目にパンペリー石様鉱物やオホーツク石の様なものも見られる。一番多くみられるのは、黄褐色から赤褐色、赤色、黒褐色、などの様々な色を呈するカリオピライトで、緑黒色の土佐石を伴っている。土佐石というのは、少量のマンガンを含むグリーナ石(Greenalite)で今は亜種変種扱いになっている。このカリオピライトに伴って黒色の重いブラウン鉱が比較的みられる。かたくて重いこの黒い石が主要鉱石鉱物でその他の鉱物は低品位鉱石となる。(鉱物の鑑定のため下に、昔採集したものも含めて写真を掲載しておくので参考にしてもらいたい)

 みんなズリに散らばり思い思いの場所でハンマーをふるっていた。筆者のお目当てはやはり紅簾石の塊で、前回来た時も今回もなかなか見つからなかった。入り口に入ってすぐのズリはブラウン鉱・カリオピライト・菱マンガン鉱・土佐石中心のズリで、前回来たときと同じ場所(奥のズリ)でようやくお目当てのものを見つけることができた。一般的にここの鉱物は難しいので、不明鉱物の鑑定に呼び止められる。色で惑わされるカリオピライトが一番多かった。以前に採集したもののうち辰砂や粒状の黄銅鉱や黄鉄鉱などの硫化物は、今回見つけられなかった。そのうちにズリで長居していたわけではなかったが、すぐに時間が経つようで、各々昼食をとるために車に戻っていった。


久々の四国にて3 に続く。

 

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今回採取し、塩酸で処理した紅簾石。塩酸で処理後、母岩が腐ってこないようにどれだけ有効かは分からないが、熱重曹水で中和しておいた。画像の中の白色は溶け残った方解石、黄色部はマンガン斧石~チンゼン斧石系鉱物。

(画像大きさ縦横ともに約1cm)


マンガン斧石~チンゼン斧石系鉱物。以前の採集のもの。短波紫外線で赤く蛍光する方解石に伴っている当鉱山では古来有名なもの。方解石に直接伴っているためマンガン斧石と思われる。(画像の大きさ縦約4㎝、横約5㎝)



ブラウン鉱(Braunite)。前回採集したもの。黒色部がブラウン鉱でズリの東隣の林道を詰めていった所にある坑口のズリで見つけたもの。周囲の赤褐色~黄褐色部はカリオピライト。(画像の大きさ縦約5cm横約7㎝)



土佐石Tosalite(マンガンを含むグリーナ石)。これは初めて穴内鉱山に来たときにフキナロ坑で採取したもの。ピンク色~白色の脈は菱マンガン鉱。緑黒部が土佐石。赤褐色~黄褐色部はカリオピライト。(画像の大きさ縦約3cm横約5㎝)



「南部石」 肉眼でナトリウム主成分かリチウム主成分かはわからない。この石の片割れをXRDで南部石と確認している。上部の白色部は方解石、くすんだ赤色は紅簾石。(画像大きさ縦約3㎝横約5cm)


久々の四国にて3

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 昨日の続きです。

 昼食後、もうしばらく採集したいとのことで再びズリに戻る。この日は風は穏やかで時折、吹くくらいで回りは一面杉林だった。筆者の鼻は限界で採集どころではなかった。沢の水で鼻を少し洗い流したらすっきりして、カメラを持って坑口を見に行った。

 みんなが叩いているズリのすぐ上に平坦な地形が下から見えたので、木々に掴まりながら登っていくと比較的大きな坑口があった。



松株本坑、尾根上の旧坑。手前はやや広くズリがあったが、高品位そうなものは無かった。


 坑口の右手は陥没坑のようで、鉱体を抜いた後に天盤が崩落したようだ。更に尾根の鼻方面に一段下がったところにも陥没坑があり、こちらは手前のものより深い。下のズリのすぐ上に当たる。


下の陥没坑跡。奥に穴内ダム湖が見える。ここも鉱石は少なく、鉱石を採集するためには下のズリに行くしかないようだ。


 尾根上では、一つだけ鉱石質のものがあった。石英脈中に熱水起源と思われる菱マンガン鉱の結晶が晶洞に生えているものだった。下のズリでは見ないものだったが、下りに片手が塞がって下りれるかどうか不安だったため、この石は現場においてきた。たぶん今も行ったらあるだろう。

 

 午後二時ごろ採集は終わり、一路北上した。汗見川の川原へ移動した。途中の赤荒峠が展望よく少し休憩になった。



赤荒峠(標高820m)から北方を見る。中央奥は白髪山(標高1470.6m)。



本山町吉延在所付近の一枚。うまく撮れたと思う。


赤荒峠から本山の町を通り抜け、汗見川に沿って北上する。やや奥の在所近くまで登ったところで、これより奥は土砂崩れで通行止めという情報を土地の方からもらったので、適当なところで川原に降りてみた。

 

汗見川の川原。


 汗見川あたりまでが三波川結晶片岩でできていて、各種の結晶片岩が見られる。一応目当てのものがあり、紅簾石片岩中のブラウン鉱と、紅簾石と層状をなすアルデンヌ石だ。ブラウン鉱は、穴内でたくさんあったが、ここのものは結晶片岩中のもの。石英中に塊状で挟まっているものをかつて、北の山を越えたところにある大銅山の佐々連鉱山で見たことがあった。

 もう一つアルデンヌ石だが紅簾石と層状になっているものを見たことがあり、もし川原にあれば幸運だろうなと思っていた。

 川原は写真でもわかるように、すでに日陰になっていて風が吹くと結構寒い。少し観察したに留めることになった。それでも橙色の筋が入っている紅簾石片岩を一つだけ見つけて、宿のある新居浜方面に向かった。

 国道を戻って高速利用するか、早明浦を通って寒風山トンネルを抜けるかで少しもめたが、距離的にあまり変わら無さそうなので、早明浦を通っていくことになった。

 早明浦ダム。毎年乾っ梅雨の時期に水不足で真っ先に映像が流れることで有名なダムだが、今回は見た感じでは多いように思われた。(下の画像)

 早明浦ダムサイドは今回が初めてではなく、5年ほど前に白滝鉱山に行ったときに通った。曲がりくねったやや狭い道で、大川村の旧庁舎が見えていた。

 今回は見えていなかったが、曲がりくねった道は健在で、スピードを出すを酔ってしまいそう。鉱山のある朝谷の入り口を通り越すと車酔いしそうな細かいカーブは少なくなっていた。

 

森林公園方面から上吉野川橋を望む。


 伊野町方面からくる国道に合流し、奥に真っ白になった笹ヶ峰の一部が見えてくるとそろそろ寒風山トンネルだ。これを抜けると伊予西条。この日最後の採集地に向かった。


久々の四国にて4 に続く。

 

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久々の四国にて4

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 今週のはじめに祖父谷峠から、桟敷ヶ岳―飯森山―天童山―茶呑峠へと縦走してきました。城丹国境尾根は残置テープなどの道標の類があまりなく、読図で判断しながら進んでいける面白い山行でした。尾根は丹波Ⅱ帯特有のチャートの岩峰が西へ行くほど顕著になって、天童山あたりまでくると赤白チャートが目立つようになっていました。天童山から下山するルートを少し間違えて地形図に掲載のある「障子岩」のほうに降りそうになり、尾根が一つ違うのに気づき修正しました。障子岩は赤白チャートから赤チャートからなり、割れ目に二酸化マンガンが染みたような汚いものがよく見られました。茶呑峠からは稲荷谷を採ったのですが、途中の右岸に珪石を掘ったのか、あるいは丹波赤石を掘ったのか大きな掘り跡があり、赤白チャートが散乱していました。

 赤石は多紀連山の畑鉱山で見たような美しい赤白珪石ではなく、薄い褐色の泥質岩を挟んだ汚いもので、朱色の礫を伴う赤白珪石は少ししかありませんでした。


棧敷ヶ岳山頂。(895.8m) 標高が高いので違うと思うが、北の尾根を歩いていると城跡かと思う地形が多くあり、山頂に来た時も台地状で広いので城跡かなと思った。山頂の北斜面に珪石を掘ったような跡も見つけた。赤白チャートと青白チャートがあった。



飯森山山頂。(791m) 山名プレートがもっとあっていいはずなのだが、残置テープの上に山名が入っているもののみしかなかった。展望はあまり良くない。


天童山山頂。(775m) 尾根の通過点のような山頂で、手前の反射板のピークのほうがはるかに高い。山頂は暗い植林との境で、ここも山名プレートはほとんどなかった。誰かが取り外したんだろう。


 午後1時頃に祖父谷橋から登りはじめ、午後5時に予定通り茶呑峠を経て殿橋のバス停に降りて来れました。




 



 四国巡検の続きです。


 汗見谷から新居浜に向かうのは、国道を戻って高速に乗るより、早明浦を通ったほうが時間的に早いので、早明浦を通りました。午後5時頃に寒風山トンネルという非常に長いトンネルを抜けると西条市に入り、トンネル近くの鉱山に寄ることになった。

 藤之石(地名)の在所まで下って、道を間違ったことに気づき初めて行くことになる。目的の谷に向かう途中、おしろいをした真っ白な伊予富士が聳えていた。

藤之石在所付近から見た伊予富士。山頂付近はまだ真っ白け。


 筆者の案内で、トンネル横の林道に入っていきました。情報源の同行者の方は谷に入ってから気づかれたようでした。

 適当な川原に降りて含銅硫化鉄鉱を探した。川原は主谷と桂谷の合流地点より下流で、あまりたくさん鉱石は落ちていなかった。桂谷の上流には基安鉱山がありその他の鉱山は無いため、ほとんどの鉱石は基安鉱山のもののようだ。

川来須の川原。緑色片岩が多い。ほかは緑簾石を含んだスティルプノメレン片岩が見られた。


 採集は、1時間ほど要した。主谷と桂谷との合流地点より少し桂谷に入ったくらいのところで、含銅硫化鉄鉱塊を石英脈で切っているものを見つけ四国の含銅硫化鉄鉱床で斑銅鉱以外の高品位銅鉱物を見たのはこれが初めてだった。 

 石英脈の空隙には黄銅鉱を伴う四面銅鉱の結晶も見られた。脈に沿って割ってみると、石英脈側に安四面銅鉱様鉱物がついていた。



安四面銅鉱。(顕微鏡写真) 黄銅鉱の結晶を伴うもの。写真中央部とそのうえのギラついている部分が四面銅鉱で、中央やや右にみられる錆びた結晶は黄銅鉱。そのほか石英脈には斑銅鉱か輝銅鉱か?と思われるような銅鉱物が微量ついていた。

 含銅硫化鉄鉱は主谷と桂谷の合流地点より下流では少なく、桂谷側の上流に多くみられた。いずれも川原に転がっている石なので高品位鉱石、黄銅鉱が多く入って黄銅色になったようなものなどはほとんど見られない。また加水分解していつ、硫酸を吹いて分解していくか分からないような石が多い。



含銅硫化鉄鉱。大きさはほぼ拳サイズ。見ての通り黄色みがあまりなく低品位鉱石と思われる。


 桂谷の奥で石英脈の太いものを見つけて割っていると、鉄錆で汚れたものの中に磁硫鉄鉱の入っているものがあった。四国では磁硫鉄鉱は珍しいものらしいことを聞いていたので、一応サンプルに拾った。他は、スティルプノメレンの集合したものがあったので、これもサンプリングした。



スティルプノメレン。石英のほかに少量の長石を含んでいる。写真中央部の緑色部は緑簾石。


 このあたりは山が高くV字谷が多いようで、あっというまに日暮れになった。新居浜市内のホテルに着いた。

 

 翌日は市之川へ。





 

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久々の四国にて5

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 ちょっと期間が長くなっていますが、前回の続きです。


 四国巡検の2日目は朝から市之川鉱山へ。過去2回訪れていましたが、そのうち1回が日没後に更に1回がジャジャ降りの日に来て、収穫も何もなかった。

 昔、馬車で鉱石を搬出していた細い道を辿り、公民館のある(字)白目へ。小広い駐車場の脇に停めて身支度をしていると、公民館の館長とうまく出会えた。交渉役がうまく話をしてもらい、資料館の中と鉱脈露頭、更に水晶の採集できるズリに案内してもらえることになった。

 初めて学校内に入った。



市之川公民館前。朝8時頃。




千荷坑。主要坑口の一つ。ちょうど対岸に選鉱所と事務所があった。




露頭付近の川原。下流を見ている。左岸の植林の中に社宅があったとか。



金水坑(というらしい)。ここは奥が見えている。


 その後、川原に降りてアンチモン鉱脈の露頭に案内された。この露頭に行くには何度か川を渡るようだったが、筆者は長靴など用意していなかったためにいつも通り、素足になってまだまだ冷たい水の川を渡った。対岸の川原には竪穴もあって案内なしに入るのは少し怖いかもしれない。

 昔は橋があって対岸に渡るのも苦労は無かったそうで、対岸に事務所と選鉱所があったそうだ。あとは運動場の前まで軌道で運んで、馬車による運搬に頼ったとか。

 左岸に道らしきものがあることを質問したら、鉱山稼業時に社宅があったとか。露頭は川の横で、確かにアンチモン特有の黄色い染みのようなものが吹いている露頭だった。奥(上流側)に内部の見える坑口があるようでそれも同時に見に行った。

 坑口の前に幾つかズリ石のような石があったが、鉱石らしい石は見当たらない。黒色片岩ばかりだ。


 一度戻って、車で採集できる地点まで案内された。新規の林業用杣道に沿っていくつかのカーブを越えると確かにズリっぽい地形が目に入った。杉林は枝打ちされていたが、下に枯れていない花芽をつけた枝が散乱していて歩くごとに黄色の粉末が宙を舞う。花粉の薬は事前に服用していたが、こんな状況では採集どころではなく、くしゃみの連発でズリに一番上まで這い上がって、風上でうろうろしていた。

 ここのズリは水晶が採集できるらしい。輝安鉱は?と尋ねたが、小さなものは何人か見つけているが・・・と仰る。とか言っても下で探すこともできず、ズリの上にある坑口の前で、何とか輝安鉱を・・・と坑口の延長線上を探していると、やっとのことで輝安鉱を見つけることができた。

 

市之川鉱山の輝安鉱(Stibnite)。中央の銀白色部。割った瞬間から錆びてきて、割れ面が虹色に錆びるところもあった。母岩は黒色片岩を貫く黄ばんだ石英脈。


 この鉱山ではまともに輝安鉱を採集したことがなかったので、気分を良くした。その後は塊状のものもあって、メタ輝安鉱と思われる赤い染みのようなものを伴ったものがあったが、種類が少なく次第に飽きていった。

 みんなは、飽きもせずによく集中力がもつなぁ~なんて思いながらズリ下の杣道で見ていた。

 後で見つけた輝安鉱を見せると少々驚いているようだった。規模が大きい鉱山なので探したらあるだろうと思うようになった。とはいえ明治期に産したような立派なものは到底望めないが。


 採集がひと段落して、公民館に戻る。いろいろ話してここに所蔵されている輝安鉱の一本剣を見せていただいたり、ちょっとした珍事故の間に資料をいただいたりした。


 結局、当初は一時間から2時間程度で切り上げるつもりが、昼過ぎまで遊べた。内容次第では一日遊べるところのように思う。

 鉱山へは、10トン車が入るらしいのだが、離合ができるくらいの幅がないところが多く、対向車が来ないかハラハラしながら運転しなければならなかった。市街からもう少しアプローチが良ければ、行きやすいだろう。


 鉱山を辞して、やや遅い昼食になった。一人で来るときは面倒がってコンビニ弁当を食うか、食べないかの2つに一つなんだが、いいところがあるらしいので、そこによっていく。



関川川原より東赤石山(標高1707m)を望む。エクロジャイトとかダナイトはこの山の東部にある権現谷から流れてくるそうだ。ちょうど写真中央あたりに赤石クロム鉱山があった。


 帰り際に関川の川原に寄って、結晶片岩類を小一時間観察した。川原は以前になんかの写真で見たような広いところではなく、石もあまりなかった。エクロジャイトと滑石片岩をいくつか拾って、今回はこれで引き上げることになった。


 

 

 


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深山から天引峠1

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 今週のはじめに北摂最高峰の深山から天引峠まで歩いてきました。いつかは行かないとと思っていて、なかなかその機会がこなかった。前日に最後までどこに行くのか決めかねてて、行く直前になってここにしました。



登山口。右手側に下ると深山平及び瑠璃渓に、左手は土ヶ畑へ下る。


 亀岡市内の西端部に位置する土ヶ畑と瑠璃渓高原との境界の登山口まで送ってもらった。植林地帯はすでになく、雑木林の中をだらだら登っていくとゴルフ場の横を稜線のコブまで登っていく。人気のある山なので登山道は少し禿げていてよく滑る。放牧地の跡のようで細かいハエが五月蠅い。

 下に転がっている石は地質図通りの流紋岩質凝灰岩で、そのほかの岩石はあまり見られない。



稜線までの道。右手はゴルフ場。


 一汗かくころに稜線にでた。奥にこれから通る草原が見えている。鞍部に一旦軽く下るとススキの原に出た。



右手のピークが笹原のピーク。



稜線のススキの原。正面の植林山を抜けると笹原のピークに至る。右手側が京都府、左手が大阪府。


 気温は暖かかったものの緩い冬型の日だったので見通しは良かったが、北西の風が強く、肌寒かった。

 再び植林のなかに入り少し登ると正面に笹原のピークが見えてきた。



笹原のピーク。登山ガイドなどでよく目にする風景。笹よりもススキのほうが目立っていた。草原の部分は深山山頂までで、その先は雑木林で展望にはあまり恵まれない。



笹原のピーク。


 また少し下り、登り返すと笹原のピークに着いた。頂上部はやや広く10人以上は座れそう。ただ、風が強いときは長居できそうにない。360度の展望があるので写真だけとって通り過ぎた。

 鞍部に下るとレーダーに至る林道と一緒になったが、脇に径があったのでとってみた。林道と並行して峰を通るルートだったが、山頂直下は林道歩きになってしまう。

 好展望に目障りなレーダーを回り込むと、深山宮に着いた。




深山宮。


深山から天引峠2 に続く。


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深山から天引峠2

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 いままでいっしょくたにしてきた投稿を、時間がかかるかもしれないが少し分けて整理していくつもりです。

 

 大阪ショーまで一週間を切りました。今ちょうど商品つくりをしています。

 最近何か、掘り出し物とかありませんか. という質問が来て何と答えたらいいか悩むがことが多いです。人によってイイモノが異なるので一概には言えず


「まぁ 探したらあるんじゃないですか」


とか


「人によって考えが異なりますので~・・・どうでしょうか・・?」


なんて曖昧になってしまう。


 一番困るのが、「何が一番価値がありますか?」というもの。これこそ十人十色で容易にこたえることができない。


 そういうものをすべて置いておいて、機械的に値付けをしています。直前にどういう商品を用意していくかなど、おしらせできればとおもいます。



 昨日の続きです。


 山頂についてから、何を思ったのか展望の良さに思わず、たくさんシャッターを切ってしまった。普段は記録用なのでほとんど撮らない。360度に近い展望に恵まれている上に、この日は澄み切った青空だった。

 神社の鳥居の奥に三角点がチョコンとあって、その上にも賽銭が置かれている。塚のまわりは柵で一応囲っているので神域と思われるので、ややこしいことに巻き込まれたくないので、遠巻きから眺めて先に進む準備をした。


 

点名「天王」。深山の三角点。境界杭が近くに見当たらないので、大阪府京都府のどちらに寄っているか分からない。柵の外からアップして撮影。



山頂から東方。一応山座同定はしてみたものの、見慣れた山以外は間違っていると思うので参考程度に。




山頂から八木方面。奥に愛宕山がみえる。地形図に載っていない山名があるが、それらは以前に地元で聴き取りをしたものが含まれる。



大阪側。山の位置はたぶんあっていると思う。20万分の1地形図に六甲山三角点と深山三角点に定規を当てて、分度器で角度を割り出したが・・・合っている可能性は低いとおもうので、参考程度に。


 地質が変わるとこうも山の風貌が変わるものかと思ってしまう一枚。奥の六甲山は六甲花崗岩で、手前の高岳の西半分が流紋岩質溶結凝灰岩、東半分からナルタキ山付近は貫入岩体があるものの、丹波の堆積岩類で熱変成を受けている。深山は瑠璃渓層の角礫凝灰岩で半国山同様山頂部はなだらかな高原状をしている。天王高原より西は、後川あたりまで丹波の堆積層が占め、これに流紋岩質岩が、岩脈として貫入してる。特にこれが顕著なのが、籠坊温泉から弥十郎ヶ岳・シドロ大丸までだ。

 丹波の堆積層は頁岩とチャートからなるので頁岩は別として、チャートは風化に強くよく岩峰として残る。多紀アルプスの小金ヶ岳のように尖峰になりやすい。(ただし、多紀アルプス付近のチャートは古生層なので時代が異なる)


 北へ縦走するしたくを整え、塚の東から回り込んだ。北側も北方面だけだが展望に恵まれここでもシャッターを切りまくる。電池容量が気になってくる。

 毎回、山にいくと必ず一度は滑ってこける。体力が低下している分もあるけど一番おおきな理由は、まるぼーずのスニーカーを履いているから。夏タイヤが丸ぼーずになった状態で、高速を走っているようなもので、いつ転倒してもいいのだが、今年一月の鉢伏山と最勝ヶ峰のアイスバーンや鴨瀬谷のズルズル尾根も何とかこの靴で乗り切っている。


 山靴は10年以上前に買った革製のものがあるが、重たくて林道歩きなど足に負担がかかってしまう。それに一番の理由が休憩のとき靴を脱ぎづらいことで、脱いだらまた履かないといけない作業が単純に面倒なので、いつも履きなれたボロボロのスニーカーになっている。山だけではなく街中歩きの時も、鉱山いったときもこの靴で、消耗が激しい。


 今回も塚から縦走路に下る手前で滑ってこけた。とっさに手をついたが傷だらけで、うっすら朱色のものが吹いている。このていどなら放おっておいたら勝手に治るといつも通り放おっておくことにした。

 笹原が途切れるころ振り向くと感じの好い写真が撮れた。




笹原が途切れる手前から山頂を見る。古代から受け継がれる大社とよばれる神社の裏山や近くの山はよく二等辺三角形の美しい稜線を描いた山がある。ここも最近の造営らしいが、ここからみると古代から続いた大社の裏山の三角形に見えなくともない。


 笹原から雑木林になって、少しほっとする。自然に近い雑木林のトンネルの中を北へ向けて歩く。一度鞍部に下り、尾根が西へ向いたところが、京都大阪兵庫の三府県境界地点。庫阪峠方面との分岐に「舩谷山」がある。分岐が山頂ではなく少し南にずれている。

 地図で見ると尾根上の小突起なのに山名がついていた。



「舩谷山」(730m)。標高点もなく正確な標高もわからない。雑木林に覆われた静かな山頂だった。



深山と庫阪峠、満燈山を経て天引峠へ至る分岐。右奥が天引峠方面へ、左は庫阪峠へ、右手前へ行くと辿ってきた深山への道。舩谷山山頂は左手前方へ行くと見えている。


ここからは天引峠方面を採った。


深山から天引峠3 に続く。






 



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月末について

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 4月25日~4月28日まで大阪OMMビルに於いて大阪ショー開催されます。


 今年も昨年と同じ会館コーナーの前で開いています。


 この間の店舗での営業はしていません。上記の場所にて営業しています。

 

 また、大阪ショー閉幕翌29日(火)は昭和の日で祝日になっています。片づけ


ながらになってしまうかもしれませんが、店は開けています。




 いじょう お知らせでした。



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5月連休のお知らせ

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 大阪ショーは無事に終わり、みなさんお疲れ様でした。


さて、今回もいろいろ仕入できました。もちろん自分用の標本も買い求め、特に面白い標本を幾つか入手しました。

 新着のマンガン鉱物標本のほか四国の含銅硫化鉄鉱などを入手しました。


筆者の標本は幾つかのカテゴリーに分けていて、鉱石鉱物標本,脈石鉱物標本,元素別の資源標本,都道府県別標本などのほか、「離島鉱物標本」があり、ここ最近はこの離島鉱物標本がよく入手できている。


 多くは琉球列島の石で、火山岩中の水晶、藍閃石を含む青色片岩, 緑色片岩中の透緑閃石など面白いものが集まってきている。

 今回は、東京青ヶ島のアア溶岩中の灰長石と沖縄本島の桝石の2つを入手できた。前者は八丈島の南の孤島でなかなか本土からはたどり着きにくいところで、一生のうちにいけるかどうかわからないので、購入した。

 後者も前者の標本を購入したところで、最終日に購入した。本土では普通に産する鉱物だが、離島となると話は別。 売り立て会にもほとんど姿を現さない珍品と思う。これも特に考えることなく購入を決めた。

 

 ほかにもほしいものがあったが、断念し今回は終わった。






 5月の連休ですが、○の日以外は店を開けています。



の日は定休日で、いつも月火を休みにしていますが、5月の5日6日は祭日ですので、休みをずらし5月7日と5月8日を代休にしました。







 

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深山から天引峠へ3

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 一週間ほど大阪ショーの準備などで途切れてしまっていましたが、後半をまた書いていきます。


 亀岡市と園部町との境界付近に位置する登山口から、深山と舩谷山と越えてきました。この先は「サク谷の頭」とか呼ばれる連山最北の700m地点から一気に高度を落とし、丹波では普通の500m台の起伏にかわってくる。

 

 庫阪峠の分岐を右にとり、雑木林の中を少々下っていく。ところどころに北麓にある野活の道標がありほとんど迷うことは無かった。足元はいつものボロスニーカーなので露に濡れた落ち葉がやや滑る以外は快適な尾根道だった。

 一度大きく下って、少し登り返したコブに野活の道標があり、右手方が少し高かった。休憩を兼ねて裏に登り地形図で調べると、ここが701m地点のようだった。



サク谷の頭。(標高約701m) 道標以外何もない尾根上の突起で展望もない。「~の頭」と表記する山は丹波にはほとんどない。


 サク谷の頭から一気に下る。80mほど地面の湿った急坂を滑らないように、雑木に掴まりながら下って行った。

 鞍部を二つ越えると「蛇岩」と呼ばれる小さな尾根上のコブに着いた。西側が丹波帯のチャートの大岩になっていて、西側のみ展望が利く。


 蛇岩・・・じゃいわ・・・と読むらしい。



蛇岩(標高526m地点)。西側の山が望める。中央は後川のシドロ大丸(標高725m)と左肩に淨仙山(標高701m)。


 ここでも休憩し、足場の岩場を調べてみた。白色の塊状チャートで亀裂に二酸化マンガンの薄い染みや、硫化(黄鉄鉱などの硫化物)が鉱染しているものも見られた。硫化の鉱染は表面は褐鉄鉱(鉄錆のようなもの)で覆われていて、下に落ちている転石を割ってやっと黄鉄鉱の小結晶だとわかった。

 登山道の通っている東側の尾根の肩にも同様の大きなチャートの露岩があった。こちらも白色~青灰色の「青白珪石」と呼べそうなチャートの岩塊で層状ではなかった。


 尾根を北に辿る。蛇岩を越して大きく鞍部に下っていく。正面にこれから登る満燈山の尖峰が見えている。登り返しがきつそうだ。

 鞍部に下ると野活の道標があり、ここらでやっと満燈山の名前がでた。京都府側は鬱蒼とスギ・ヒノキの植林で、兵庫県側は明るい雑木林に完全に分かれている。その境界を登って行った。途中、兵庫県側の山腹を巻いていくのだが、小断層の破砕帯あたっているのか、足場がザレてて転げ落ちそう。路肩の崩壊を防ぐように防止のプラ製の器具が取り付けてあったが、頼りない。

 何とか滑り落ちずに通過し、野活の事務所との分岐を経て、ようやく満燈山についた。満燈山(山名プレートには万燈山とある)は「タキタニ」ともいう。展望は兵庫県側(西側)に限られる。



南の尾根から山頂を見る。植林を境にして、右(東)が京都府側、左が兵庫県。



満燈山(569m)。


 道標は満燈山までのようで、尾根筋の道も次第に不明瞭になってきた。


深山から天引峠4 に続く。




 

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