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PR: あなたの善意が命をつなぐ 骨髄バンク-政府ネットTV

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今回は、骨髄移植などの方法や骨髄バンクへのドナー登録について詳しくご紹介します!

初登り2

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 続きです。


 車で神吉和田区の渋坂峠の入り口まで送ってもらった。陽の当たらない山の斜面にこの前降った雪が少しだけ残っていた。新紅葉峠のバイパスの温度計は摂氏5℃を指していた。

 


渋坂峠の入り口。地形図では×の方に峠道が記されているが、この道は50mほどで谷の源頭で行き止まりとなった。適当に北の尾根に道を探しながら登っていくと、一つ坑口を見つけた。



峠東の谷の旧坑。ズリ石がほとんどなく何を掘っていたのかがわからない。


 尾根の上部に林道らしい道がみえたのでこれを辿った。少々廃道化しているが軽4くらいは入りそう。



峠道。


 峠道に沿って少し登ると林道終点になって渋坂峠に着いた。峠の向こう亀岡側に行ってみた。もうほとんど使われていないらしく廃道になっていた。

 

渋坂峠。


 峠の北の尾根に墓地がありこの奥の石碑から尾根に取りついた。亀岡側は雑木林で神吉側は管理の行き届いた植林になっている。すでに主稜線に乗っているので大した登りはない。峠からだらだら登ると466m峰に着く。頂上の北西の端で分岐になった。



466m峰の端にある巡視路分岐。右は神吉在所へ、手前は渋坂峠、左は山頂へ至る。


 分岐を左に取り、池の縁を囲むように尾根に伝って半周し、ようやく龍王ヶ岳手前の鞍部に着いた。


 


山頂手前の急坂。


 ここから少し登りが急勾配になって、白色の層状チャートの露岩が目立つようになっきた。この急坂で今回初めて展望が得られた。北西と真西は木々が遮って見えないが、そのほかの方角は展望がきく。足元が少々悪いので展望を楽しみながらだらだら登っていくと、麓から見えていた鉄塔に着いた。

 鉄塔は稜線には無く、少し北へずれた斜面に建っていた。展望は北東方面のみ得られる。

 

 鉄塔からは急に踏み跡が狭くなり、ヤブを少し漕ぐと山頂に着いた。三角点周辺は雑木林に囲まれているため展望は一切ない。



龍王ヶ岳の山頂。展望は無し。


 少々休んでから次へ向かう。


 初登り3に続く。

 



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初登り3

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 昨日の続きです。


 山頂を辞して北西に延びる尾根筋を採った。頂上からはやや急坂が続くがすぐに平坦な尾根になった。尾根の先のコブに一つ砥石を掘った坑口とズリを見つけた。



砥石掘り跡のズリ。どういうものが良質の砥石かはわからないが、表面が白色~少し黄ばんだものが多く見られた。



砥石の坑口。上の写真のズリの奥にある。穴は伐採された木で塞がれていた。


 

 さらに西進し尾根を回り込んで幅のある尾根になってくると先の地面が掘り下ったように凹凸のある部分に出た。明らかに砥石を掘った跡で、深く掘り下げられた北側の源頭付近に露頭も見られた。



砥石の掘り跡。この掘り跡の向かいに広い台地がありここにたくさんの砥石のかけらが落ちていた。この付近の地形が分かるような部分を何枚かカメラに収めたが、いずれも落ち葉が降り積もっていてよくわからなかったので、上の写真のみを挙げた。


 砥石にコノドントがついているものが多少見られたが、すべて内部は溶け落ちていた。ここの砥石は尾根のコブにあった坑口のものよりも青色味が強く板状に剥離するものだった。

 砥石の掘り場から一つ尾根上のコブを過ぎた。コブの西側に内部の見える坑口が一つあり、何を掘っているのかズリを確認すると二酸化マンガンだった。

 この付近に「神吉鉱山」という二酸化マンガンを掘った山があったのだが、永らく現場が不明だった。龍王ヶ岳から尾根をずいぶんと歩いてきていたので、少し疲労も感じたが、一通りどれだけの坑口とズリがあるのか見て回った。

 尾根の内部の見える坑口から北へ斜面を数メートル下ったところに2つ、その地点より西に10メートルほど行った所に1つ。この2か所の坑口群のちょうど中間あたりに鉱山道と思われるわずかに残った径が通っていた。

 さらにこの坑口群の下に幅10メートルくらいの露天掘りのような跡があって、その下数メートル下の斜面に2つ坑口とやや大きなズリが残っていた。



下部の坑口。正面奥に少し見分けづらいが、黒い部分があり少しだけ開いている。


 尾根筋の内部の見える坑口以外は、坑口があったと思わせる凹部が残っているだけで、内部を確認できるような坑口はなかった。

 事前に、この鉱床のことは地元の人から、昭和26年~27年ごろに稼業していたそうで、夕方ぐらいに近くを通ると坑夫が山を下りてくるのを見たという証言を得ていた。それをやっと見つけることができた。

 鉱石は主に二酸化マンガンで、硬質でややしっかりしたものから石英及びチャートに絡み合ったり染みたりしている低品位のものまで見られた。採集に来たわけではないので、ほかの鉱物は見ていないがこれからもっと色々な鉱物が見つかるかもしれない。

 

 鉱山からはわずかな距離で、紅葉峠へ至る道に出た。




初登り4に続く。

 

 

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初登り4

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 鉱山跡から紅葉峠道に出て、時間がまだ早くもうすこし足を延ばせる時間ができた。地形図で簡易水道の北側に445mの三角点があった。事前の山名の聞き取りでは「高塚」というらしい。麓から望むと三角錐の山で登りがきつそうだった。簡易水道施設の脇から適当に詰めれば何とかなると思い、設備に至る道から行ってみた。


 道は舗装道で2回ほどカーブを越えると設備の前に着く。三角錐に近い山体は設備工事のためにベンチカットで削られていた。カット面には登路は無く、北側から登れそうなところを探して登って行った。当然道はなくイバラに服を引っかけながら高度を稼ぐ。斜面が緩やかになると先行者のテープが出始め僅かで四等三角点の埋まる山頂に着いた。



 「高塚」山頂。四等三角点が埋まる。雑木林の中で展望はないが、カット面まで行くと北面だけ展望が得られる。


 散らついていた雪が止むまで少し休憩し、視界がよくなってから下山した。頂上手前に三辻があり、向かって右手の西方の尾根を辿ってみた。



三つ辻。下山口方面に下った。


 こちらは踏み跡がはっきりと残り、わずかの時間で紅葉峠道に出た。ここから氷所に下山する。高塚の三角点によったが、あまり時間がかからなかったので、地形図にある「紅葉山」によっていくことにした。

 紅葉峠を経て地形図の破線部の入り口を探したが、よくわからず適当に尾根に取りついた。尾根をだらだら下りていくと峠のような地形がありここから北方に延びる尾根を辿ってみた。道が緩やかになりやがて山頂に着いた。



 紅葉山の山頂(標高380m独標)。山名プレートが一枚だけ掛かっている。三角点はなく、展望も得られ無かった。


 また雪が散らついてきたので速足で林道に戻る。主尾根から北へ戻るように少し進むと砥石の掘り跡があった。



砥石の坑口。珍しく坑内が見られる。


 やや狭い痩せ尾根にいくつか掘り跡があり、その一つは坑内が見える大きな坑口だった。そこから元来た道に戻って林道に出た。ここからはだらだらと林道を下って氷所まで行き、迎えが来るまで亀岡方面を目指して府道を歩いて行った。



今回の山行のルート図です。





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善峰寺から釈迦岳とポンポン山を経て老ノ坂へ1

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 筆者の標本に大原野小塩山の水晶というものがある。以前にあるコレクターから提供されたものだが、母岩が流紋岩質でこのあたりの地盤の岩石とは異なっていた。大枝付近は丹波帯の古生層から中世層で主に頁岩及びチャートからなっていて、部分的に岩脈として流紋岩質岩が入っていてもおかしくはないがちょっと異質だったので、確認のために小塩山に行きたかった。

 なかなか行く機会がなく、今回やっとその機会ができた。ついでに昔一度だけいった釈迦岳とポンポン山を結んで歩いてみた。

 

 善峰寺のバス停まで送ってもらい、道標に従って釈迦岳経由で登ることにした。


ここから歩き出す。


 バス停から始めの道標まで車道歩きだが、谷筋にむりやりつけたような道でかなりの勾配があった。登山道よりも辛い急坂だった。




釈迦岳への道標。すぐ左横が沢。


 沢の南側の急斜面についた細い道を進む。手すりの要りそうな斜面につけられた道で、足を踏み外すとえらいところまで落ちてしまいそうな道だった。それでも道端の木々には植物名プレートが、滑り落ちそうな斜面にでも備え付けてあった。このあたりの露頭はやや風化した頁岩で裂罅に淡い粘土層を挟んでいた。



道標の先の道。この写真を撮ったのはやや広くなった地点。


 斜面は急だが展望はいいほうで、善峰寺の坊の奥に京都市内が望めた。

 道は尾根を回り込んで植林となり、尾根を乗り越した先で分岐となった。分岐は左へ行くと展望台となっていてすぐ先だった。少し寄り道をして見に行ったが、若木が成長してほとんど展望は無かった。

 

展望台分岐。


 釈迦岳方面へとり、植林の中を緩やかに登ると柳谷観音との分岐に着く。直進すれば釈迦岳で西へ行くと柳谷観音方面に至る。




柳谷観音との分岐。


 直進し、尾根の南側を西進する。左手に沢が登ってきて並走するようになってきた。沢を渡る手前の右側に炭焼き窯跡があった。坑口と思ったが瓦の割れはしやトタンのクズが見られるため炭焼き跡のようだ。

 沢を渡り対岸のやや急な支尾根を直登する。このあたりが一番急坂のようで、約2℃という外気温だったのでかなり着込んでいたのが裏目に出て、先の尾根を乗り越したさきで休憩したら、背中じゅうが汗だらけになっていた。

 尾根を乗り越すとやや平坦になり、50mほど緩やかな道を進むとまた直登りになり、それを過ぎるとまた平坦な道になった。堀切か? 城跡かもしれない。

 城跡かもしれない段々を登っていくと主稜線の分岐に着いた。



道標。


 分岐から山頂まではすぐのはずなので、休憩をとらずに一気に登った。山頂までは城跡の郭を思わせるやや尖ったピークがいくつかあり、その中でもやや広いピークが山頂だった。登山道の延びる北西斜面は切り立った崖になっていた。やはりここは城跡の主郭かもしれない。



山頂の三角点。角柱の端がなぜか欠けている。昔来たときはきれいな御影石の三角点だったのに...



ありしころの三角点。どこも欠けがなくきれいな御影石。2004年5月18日に訪山。


 山頂も山名プレート数枚があっただけなのにベンチと机が整備されていた。



善峰寺から釈迦岳とポンポン山を経て老ノ坂へ2 へ続く。


善峰寺から釈迦岳とポンポン山を経て老ノ坂へ2

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 昨日の続きです。

 

  山頂はベンチと机ができたせいか、狭く展望も少ないのでポンポン山方面を目指した。



釈迦岳の山頂。右下の白くなっているのは霜柱で、陽が当たって少々暖かくなっているのにまだ、凍っている。




釈迦岳からの道。


 釈迦岳山頂を辞してポンポン山に向かう。ポンポン山とは変なネーミングの山で、かつては加茂瀬山とか字違いで加茂背山とか呼ばれていたらしい。それがいつの間にかポンポン山という奇妙な名前になっていた。こういう奇妙な名前の山の近くには鉱山があることが多いが、この山の近くは石灰を焼いた以外は特に何もなかった。

 大阪側の摂津峡を挟んだ向かいの山地には、岩戸坂鉱山と横峰鉱山と高槻鉱山の3か所のスカルン銅鉱床が知られている。(あまり関係ないだろうが)


 うっすら積雪の残る道を進むと、杉谷分岐と森林公園分岐を過ぎた。こんなに時間がかかっただろうか。もっと早くついたような気がする。歩くスピードは前回来た時よりも遥かに遅いことは分かっているが、休憩なしで一気に登っているためそろそろだと思っていた。

 

北尾根の分岐。前回は北尾根を伝ってきた。



その先の道。陽が当たらないせいか積雪が残る。



山頂分岐。左上のやや明るくなっているのが山頂。


 緩やかに登りが続き、ピークの南側を巻いて山頂に着いた。この寒いのにすでに数組の先着者がいた。山頂は広いが、以前より植生が少なく(冬季に来たせいもあるが)禿げたようだ。



ポンポン山山頂。標高678.8m かつて標高は西に位置する鴻応山と同じ高さだったが、現在の地形図では、こちらが0.1m低く記載されている。またまわりに石が多く積まれ三角点は見えづらくなっていた。




以前来たときの山頂。ほぼ同じアングルで撮ったもの。2004年5月18日撮影。


善峰寺から釈迦岳とポンポン山を経て老ノ坂へ3 に続く。





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善峰寺から釈迦岳とポンポン山を経て老ノ坂峠へ3

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 新春交流会とその準備で続きの更新が途切れていました。2の続きです。

 ポンポン山で、軽く昼食を摂り前回よりも展望のよくなった山頂で一通りカメラに収めた。



ポンポン山山頂より、半国山方面を見る。手前に昨年夏に登った黒柄岳の鉄塔が見える。その奥は霊仙ヶ岳。半国山は麓から774.2mの山頂は神前まで離れないと見えない。宮川や本梅から見えているのは本来の山頂ではなく「三ツ石」と呼ばれる711mの独標で半国山ではない。半国山の右肩の奥に丹波Ⅱ帯の三岳が望めた。



山頂より、愛宕山方面を見る。ポンポン山よりこの方面の山はほとんど標高400m前後で愛宕山連山が抜き出て高いことが分かる。尾根に鉄塔が多いのは外畑に大きな変電所があるため。



山科方面。左京区の途中越から発し比叡山を頂点に六地蔵まで続く山地は、逢坂峠で一番高度を落とすため、琵琶湖岸の山まで望むことができる。近江富士は均整のとれた山なので比較的同定しやすい。奥に雪のかぶった山やうっすら見えていて、方向的に綿向山と思われるが、天候が少々悪いためよくわからなかった。



勧修寺方面。帰ってからどこを写したのか少々悩むのがこのあたり。名神高速が通っているあたりが、勧修寺でこれが目印になった。音羽山から南に続く山脈だが、標高がそろっているため同定できなかった。


 昼食を摂ったあとラジオの13時の時報を聴いて、山頂をあとにした。大原野森林公園に至る北尾根の分岐まで戻る。通る人の少ないやや不明瞭な尾根を北へ辿った。鉄塔のある尾根で、公園の管理棟まで2つ以上の鉄塔がある。

 

鞍部の展望尾根。


 標高600mのコブを2つほど越え、緩やかに下っていくと伐採地になり、東西に展望が開けた。これから進む北尾根には、618mの独標がありそこにも大きな鉄塔がある。

 この手前の峠から杉谷の林道へ下った。



鞍部の分岐。右手の「杉谷へ」にとる。


 昔の峠道のようで、道幅広く歩きやすい。2つカーブを折り返し、谷沿いに下っていく。谷筋の道は斜面に僅かな幅の道がつけられているだけで、バランスを崩したら滑り落ちそうな道だった。

 次のカーブで石灰の転がっている小沢にでる。この谷の一つ南の谷は、石灰の採掘跡があり腕足類やサンゴなどの古生代化石を産した。ずいぶん前に会の採集会で行ったことがあるが、それからは行けていない。ここにも石灰が転がっているので休憩を兼ねて少し見た。

 コケムシと思われるものと、カイメンかな....と思われるものが見られた。さらに下流の沢の石に小さいウミユリの茎の五円玉みたいな断面が見えている大塊もあった。

 やがて道は平坦になって杉谷に至る林道の分岐についた。



北尾根への取りつき口。外畑方面にとった。



林道の道は端のほうがまだ凍てついていて、なるべく凍ててないほうを歩く。5分ほどで、三叉路に着いた。



三叉路。外畑方面は変電所の先の切り開きを越えると高槻市中畑に出て、その先の三叉路を右折すると万寿峠で、ここからも帰ることができる。

 大原野方面は金蔵寺門前に下ることができる。



善峰寺から釈迦岳とポンポン山を経て老ノ坂峠へ4 に続く。



 





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善峰寺から釈迦岳とポンポン山を経て老ノ坂峠へ4

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 3の続きです。

 杉谷から金蔵寺方面にとり、どこか小塩山への取りつき点を探す。金蔵寺へ至る古道があり、ここの鞍部から尾根に取りついた。三叉路から取りつき口が見つかるだろうと思っていたが、そうもいかず集合墓地のようなところの奥から尾根に取りついた。やや急な支尾根で枝や大木に足を取られながら高度を稼いだ。



金蔵寺への分岐。左方へとった。



支尾根の直登。下草が無いのが救い。


 下草の無い雑木林の尾根を詰めると、左方から上がってきた谷の源頭に出た。尾根には特に目印になるような人工物はなく、ひたすら北に向いて小塩山を目指す。


独標604m。特に目印になるようなものもなく、通り過ぎてしまいそうな地点だった。

 地形図に604mの記載のある独標あたりから先行者の残していったテープ類が見られるようになってほっとした。木々の間から小塩山の鉄塔群が見えるようになってくると、道は東山腹を巻いて林道に出るようだった。

 尾根は特にヤブになっていないようなのでこのまま尾根に沿って登り、やや急な斜面を越えると林道に出た。



小塩山の鉄塔。


 林道沿いに登っていくと、いつも大原野を通るときにしたから見えている鉄塔が大きくなってくる。山頂台地を回り込むと終点で、奥に御陵の参道が見える。

 本来の山頂には行けそうにないので、鉄塔のほうへ行くと山名プレートのたくさんかかった現在の山頂に着いた。

 電波塔があるので展望がきくのかと思ったが大したことはなかった。


淳和天皇御陵参道の入り口。この先の石畳は凍てていて滑りそうなのでここで引き返し電波塔のほうへ行く。


電波塔の横にある現在の小塩山山頂。山名プレートがいくつか見られる。古い地形図には、天皇御陵のほうには標高点がなく、こちら側の山頂に640mの記載があった。


 少し休憩するが時折強風が吹き、おまけに粉雪もちらついてくるので、山頂は早々と辞した。ここから林道を少し戻り、尾根道を採った。

 有刺鉄線の脇を進むと本来の尾根になり、やがて林道に出た。次は、西山団地を目指す。


善峰寺から釈迦岳とポンポン山を経て老ノ坂峠へ5 に続く。




 お知らせ


 最近、入荷した店舗販売用の商品の一例を紹介します。相変わらず一品ものが多いです。最近化石のほうを充実させていて、今までは東側の窓の向かいに化石コーナーを4段設けていましたが、トイレの裏側に2段確保しました。

 新生代の貝化石が主です。ほかにアクセサリー関係で、タンブル磨きを補充しました。個々の鉱物としては、ブラジル産メノウが数点、テレビ石として知られる曹灰硼石(Ulexite)、岩石では、砂質片岩を薄く切った「こんにゃく石」などを入荷しました。



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善峰寺から釈迦岳とポンポン山を経て老ノ坂峠へ5

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4の続きです。


 山頂を辞して電波塔の横の尾根を下ると林道に出た。林道に沿って300mほど行った所から尾根道に上る林道との出合いになった。

 林道はつづら折れになって大原野に下っているので尾根道のほうへ進んだ。



林道分岐。右下へ行くと大原野へ至る。右端の未舗装へ行くと尾根道に至る。左端は小塩山に至る。


 林道は尾根に乗ったところで終点になり、この先は尾根道になった。雑木林の中の緩い登りで、少し行くと580m地点につき、鞍部を越えると三角点のあるピークだ。

 580m地点と三角点ピークの間の鞍部を通りかかると傍に石が、どうも流紋岩のようだ。このあたりは丹波の堆積岩が分布しているので脈岩かもしれない。ここを通り過ぎると先に三角点のある鉄塔ピークが見えてくる。



三角点への道。




三角点の分岐。倒木のほうへとると三角点。左方へ行くと鉄塔がある。


 鉄塔の先に分岐があり、三角点を踏みにいった。雑木林の中を少し登ると三角点に着いた。雑木林の中の小ピークなので山名プレートも少ない。



三角点。「大暑山」と呼ばれるが、小塩山(おおしおやま)との誤認と思われるため(カッコ)した。


 山頂はわずかに北側に展望があるのみで、特に見どころもなく少し休憩してから縦走路に戻った。


 ここからは西山団地に向かって下っていくだけで、尾根の東側をトラバース気味に道がついていた。運動場の端に小さな径を辿ると団地に降りた。地形図を頼りに大枝ノ山を目指す。工場の多い団地の中で、至るところに自販機が置かれている。奥に別の運動場があり、その先に鉄塔が見えてきた。ここへのアプローチは、脇の広場から取りつき口があった。林道に出ると先に鉄塔があり、敷地のまわりの踏み跡を道標を頼りに進んでいく。「老ノ坂へ」の道標がやっとでてきた。

 施設の裏の尾根が若干高くやや平坦な尾根を山頂を探しまわったが、実に平坦な尾根でどこが山頂か分からなかった。分岐付近を山頂とした。

 

大枝ノ山頂上台地の分岐。雑木林の中の尾根なので展望はほとんどない。


 陽がずいぶん傾いてきたので、さっさとやまを下る。急な尾根で出来合いの階段がついていたがあまり意味をなさない。尾根はやがて市境尾根になり、風化の激しい痩せ尾根になった。



痩せ尾根。京都市側は植林されているが亀岡市側は雑木林。少し尾根を下ったところで風化残土の中から水晶を拾った。盤際に黄鉄鉱が分解した枡石がついていた。



痩せ尾根西側のザレ場の水晶。この石以外はあまり大きなものは見つけられなかった。


 痩せ尾根を過ぎると再び雑木林の中に入って、右手奥に清掃センターの社屋が見えてきた。しだいに大きくなってくると下りは終わりになり、老ノ坂の林道におりついた。

 林道を北へわずかに進むと旧山陰道にでた。


善峰寺から釈迦岳とポンポン山を経て老ノ坂峠へ6 に続く。




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善峰寺から釈迦岳とポンポン山を経て老ノ坂峠へ6

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5の続きです。


旧山陰道に出て、一度首塚方面の峠を見に行った。清掃工場の高架の下をくぐると峠の分岐に出た。



京都側の旧峠。実際どこの鞍部が旧峠なのかが分からない。とりあえず峠の集落は挟んで亀岡側と京都側の鞍部を見に行った。


 これが旧峠と思われるが、目立った道標などはなく引き返した。手前に首塚大明神があり、外から眺めて先に進んだ。



首塚大明神。敷地は京都市西京区になる。小さな古墳の上にあるようだ。まだ明るかったので感じなかった。


 集落の中ほどに来た時にやっと峠の道標が出た。ここが旧峠か?



愛宕灯篭の横にある道標。老ノ坂は古くは「大江ノ坂」と呼ばれ、明治中期の地形図には、このあたり一帯が「大江山」と記載されている。その後昭和になって大江山の記載は消えてなくなったが、最近住宅地図を見ていると、亀岡市側に篠町王子(字)大江山の地名があった。市境界の首塚から北西に行った山腹にその字名がみえる。



旧峠2。亀岡側の急峠。右手強烈なヤブ道をかき分けると南北朝期の老ノ坂城跡に至る。



 集落を通り越して帰途についた。ここから約5km旧山陰道を通って帰った。


下は、今回のルート図です。






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小塩山の水晶

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 昨日標本箱の整理を兼ねて写真撮影をしていたところ、先日行った小塩山の水晶が出てきました。母岩は流紋岩質の凝灰岩のようで、これを切る石英脈より産したようです。

 

小塩山の水晶。


 この水晶は大原野側の登山口から少し登った、水汲み場付近にあったそうでただ1つのみだったそうです。付近をずいぶん探されたようですが、ほかには無かったらしい。

 この水晶の母岩に似たものは前にも触れたように「大暑山」三角点から南へ至る尾根上で少しありました。岩脈と思われますが尾根上にあったものは石英脈が少し入ったもので、結晶が見られるようなものはありませんでした。

 


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楊枝川にて

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 今週のはじめ、紀州鉱山に連れてもらいました。伊勢道経由で尾鷲を越えていったのですが、まあ遠かった。牟婁層群の堆積岩中の熱水鉱床で、古くは金銀を産していたという、紀伊半島南部の大鉱床群だ。

 山越えをして板屋につき、選鉱所跡を見に行きました。ズリは板屋にもあるのですが、どこの地区から産したものかが分からないので、山越えをして楊枝川へ向かいました。


板屋の選鉱所跡。

 地形図で地形の変なところをマーキングし、楊枝川に下る市道の手前のカーブのところにズリがあるようなので、行ってみました。路肩のガードの支柱が軌道のレールを利用してありました。

 それの向かいの山に入っていき、やや急な斜面を登るとズリでした。特に金属鉱物はなく、ズリをやや下がったところに粘土脈があり、ここの表面に塊状の黄鉄鉱を産するところを見つけました。

 この場所は黄鉄鉱くらいしかなさそうなので見切りをつけ、立坑のズリに向かった。しばらくは立坑手前の広い台地で探していたのですが、地の仕事のかたから、本当のズリの場所を教えてもらい、そちらへ向かいました。

 古い鉱石がいくつかありましたが、お目当ての黄銅鉱の結晶はなく、川原に降りてみました。

 昨年秋の大水で荒れているらしく、石畳状の用水路の一部が崩れ、昔の鉱石が吐合手前にかたまっていました。このなかから7~8kgほどありそうな方解石脈を伴ったホタル石脈の塊を見つけた。

 表面は泥がかぶっている所為か紫色に見え、川原では割りづらいので皆のいる場所まで持って行った。川からのサルベージは少々大変でしたが、ものがいい方なものだけに何とか持ってあがれた。

 今思うとすぐに割ってしまわず、写真を撮ってから割ったらよかった。サルベージしてきて、写真を撮らずに割ってしまった。皆にいきわたるように割るのは難しく、変な形に割れてしまう。なんとか数個に割り、形の良いものだけサンプリングした。

 時刻は昼をずいぶんとまわっていて帰るのに少々時間がかかることも考慮して、十津川方面から帰ることになった。




ホタル石。サルベージしたときの紫色は表面にゴミがついていたようで、軽く洗うと淡緑色であった。



黄銅鉱結晶。お目当てだったもの。上の台地に転がっている石英脈を挟んだ母岩を割っていると出てきた。大きなものは少なかった。



斧石。川原の転石。周りの灰緑色部はホタル石と透輝石という変な組み合わせ。空隙に結晶が見られる。




 

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たなぼた水晶

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 先週から運悪く定休日の日に天気が悪いため山に行けなかった。ほかにやることといえば、標本を整理するがひたすら石を眺めているかしかない。

 たまたま昨日ほかのブログを見てたら、結構みなさん水晶のきれいなものを持ってらっしゃる。水晶は専門外なので収集の対象になっていなかった。今どれだけ持っているのか、写真を撮りながら確認していました。

 いくら専門外といっても100個はあるはずで、産地数では50産地くらいはあると思われる。透明なものはあまり好きではなく、双晶とか色変わりとか、変わった産状のものとかしか集めてこなかった。

 せめて47都道府県、各府県に1つくらいはあったほうがいいだろう。ちなみにマンガン鉱物は47各都道府県に1つは達成できた。千葉県や香川県などは特に石無し県なのでマンガン鉱物を探すのに苦労した。前者は嶺岡浅間の二酸化マンガン鉱が、後者はマンガン鉱物とはちょっと言い難いが、理想科学組成の卓越元素にマンガンを含む、上田石をそれぞれ入手できた。

 最近になってから山登りに行くようになって、老ノ坂や岡山林道で細かい水晶を見つけることができた。

 水晶はどこにでもある鉱物(質を問わなければ)だからやみくもに山に入っただけでも運がよかったら見つかる。かなり大きなものもかつては見つけたことがあった。その辺を少しあげたい。



煙水晶。正長石とカリ長石の晶洞に少量の針状緑簾石を伴うもの。産地は地元「広野」の石切場。初めて行ったときに広い採石場のなかを右往左往しながら探していたら見つけたもの。(左右10cm)

 特にどこを探したわけでもなく、夏だったので炎天下の中昼食を摂りながら傍に転がっている石で遊んでいたら見つけた。休憩中や昼食中自分の座っている場所結構目的のものが落ちているかも。案外あることが多い。これを探していたわけではないので、たなぼた水晶。

 このときは小規模スカルン中の珪灰鉄鉱の結晶や六角板状の方解石など面白いものが見られた。



水晶。特に何も伴っていない水晶だけのもの(左右約5㎝)。丹波のマンガン鉱山のうちチンゼン斧石を産することで有名な、玉岩鉱山の坑口を探していた時に林道の上方で転がっていたものを拾った。このあたりは粗粒の石英脈が多く見られ、鉱山の西方に位置する弥谷鉱山付近では2~3cmほどの水晶の晶洞の上に薔薇状の菱マンガン鉱の結晶が乗ったものも見られた。坑口を探しに行って見つけた水晶だから、これもたなぼた水晶。


 




水晶。日本最高所の水晶かもしれない。黒部の奥地、黒岳(2986m)の水晶。以前どこかで買ったものと記憶する。山頂付近の接触変成帯があり古くから石榴石や水晶で有名だったそうだ。どういう経緯で購入したのかは忘れたが、タナボタに近かった。



おととし初めて尾小屋に連れてもらったときに、駐車していた堰堤の横で偶然一本拾った紫水晶。尾根のズリに転がっていたものより大きく透明度は高いが色が淡かった。(長さ約5cm)ズリでは主に緑鉛鉱を探していたので、これもタナボタ。尾根のズリの中断で鉱床母岩のサンプルも採取していた。帰ってから整形して観察していると、含まれている長石が熱水変質を受けて白い粘土状になっている付近に赤い粒がたくさん入っているものを見つけた。前に報告のあった辰砂だろう。




紅石英。京都府の南部、井手町玉川の上流にある3つの大きな採石場のうち比較的最近まで営業していた採石場のもの。緑化事業をし始めてしばらく経ったのちに止めてしまっていた。しばらくしてから隣の採石場跡とともに見に行ったら、一番上の台地の奥に露頭が少しだけ残っていて、この露頭の前にこの紅石英が落ちていた。ギラギラした黒雲母ホルンフェルスと黒っぽい珪岩にレンズ状に入っているもので、風化したものは色が退色していた。少し表面を掘ると色の濃いものが見られたが、ボロボロでいいものは少なかった。これもたなぼたかな。


 ほかに画像には無いが、昨年秋に行った猪名川の高岳のハイキングで、ナルタキ山付近の杣道に崩壊したペグマタイトがあり、歩いているときに偶然一つだけ長さ8cmくらいの煙水晶を拾った。残骸を探したがあったのは風化してボロボロになった長石だけだった。この時の水晶は大阪の鉱物Loveの某氏のところへ嫁入りした。

 北摂霊園から泉原にいたる道沿いに「天狗岩」というところがある。ここもなにかの下見で通りかかったときに2~4cmくらいまでの煙水晶をいくつか拾った。道路のカット面からの崩土を溝上げしたところにかたまっていた。

 水晶ではないが、丹後半島の太鼓山から成相寺方面に行くとき、林道のカット面に束沸石の晶洞を見つけた。沸石の探索をしていた帰り際に見つけたのであまり探索できなかったが、これもタナボタ。

 

 以前に一度だけ滋賀県と福井県境の江若花崗岩帯に水晶を目的に探しに行ったことがあった。マキノ町の山崎山や山中牧場付近で出ているので延長線上の敦賀市や美浜町でもでるかもしれないと思い赴いた。半島の奥の海岸にとれそうで取れない岩頭の一番上に煙水晶の大きなガマが開いていた。海の奥に立っている岩頭なので近づくこともできず、敗退した。馬背峠のトンネル工事現場のズリでも小さなものは拾ったが、水晶を目的に行くと何も収穫は無かった。


 やはり何かの副産物としてでしか採集できないのには問題がある。今後の課題にしたい。

 



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雪中の八木城にて1

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 ここのところ積雪や定休日の日の悪天候でどこへも行けていませんでした。今週になってやっと出られそうな天候ななったので、マンガン鉱床探索を兼ねて八木の城山へ行ってきました。


亀岡市千歳町からみた城山。


 城山は国鉄八木駅の西方にある山城遺構のある山で、山頂から延びる東尾根付近から行者山にかけて行者山花崗岩体が貫入し、城山を構成する泥質岩及びチャートは熱変成を受けている。西側は粘板岩ホルンフェルスにチャートを混じるような地質で、ホルンフェルスの風化したものはかつて青砥として開発された。これらのチャート中に層状マンガン鉱床が挟まれていて、かつて小規模に稼業された。

 このあたりのマンガン鉱床に関する記録はほとんど残っておらず、鉱床位置も不明なためハイキングがてら登ってみることにした。

 先週に降った積雪が少し心配だった。取りつきに選んだのは、柴山からの道で、中腹に妙見堂があるからだった。妙見地名は町内にいくつかあり、新庄の船枝と神吉の星谷峠を越えたあたりに残っている。金属とかかわりがあるのでよく注視している。

 入り口から谷沿いの道になった先で終点になった。


林道終点。ここから山道になる。


 終点から一つ目の堰堤を越えると正面になかなか感じの好い滝があって、道はこれを右岸から巻いていた。手前の堰堤の脇に幅約50mにわたって層状チャートの壁も見られた。付近に二酸化マンガンの低品位なものがいくつか見られたが坑口は確認できなかった。



層状チャートの露頭。




滝。


 滝を巻いてつづら折れに登っていくと、本郷から登ってきた遊歩道との分岐になった。この地点ではまだ積雪は見られない。

 

遊歩道の分岐。


 分岐は妙見堂の方をとり、やや幅の広い道を進んでいくと妙見堂と八木城本丸との分岐についた。先に妙見堂を往復して、城跡を目指した。


分岐。右へ行くと妙見堂へ。左直進すると城山へ。


雪中の八木城にて2 に続く。



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雪中の八木城にて2

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 つづきです。


 妙見堂の分岐から左の本丸方面にとる。石垣の階段がありこれを登ると使われていないような家屋があり奥が小さな谷になっていた。道は谷の左岸を巻くようについていて、2~3回折り返すと西の尾根を伝って本沢に続いていた。

 家屋の裏に少しつついたような跡があり、穴の前に二酸化マンガンが少し残っていた。ここからちょうど頭上に折り返した登山道が来ていて、上にもあるかもしれないので先に進むと、石垣の横にひ(金偏に通)押し坑口があった。



ひ(金偏に通)押し坑道。明延の探検坑道の奥にある掘り跡に似ている。竜頭はあまり残っていない。


 坑口の前に少し二酸化マンガンがかたまっているだけで特に炭マンのような金属マンガンは見られなかった。坑口の高さは目測で5mくらい。途中で崩れているため、奥行はどれくらいあるか分からない。少し休憩して、先に進む。


 道は尾根を巻き本谷のほうへ進んでいく。先程の坑口の延長にまだ坑口がありそうで、地図を照らし合わせながら山腹を見て回った。いくつか水の溜まった掘り下り坑があった。先で2つに谷は分かれて、まず右又から入ってみた。50mほど進むと道はなくなり、左岸に2つ大きく崩れた坑口が残っていた。ここも二酸化マンガンのようで、傍の植林の中に少し見つかった。左又のほうへもどり、登っていく。道は左岸についていてチャートの一枚岩に掛かったナメ滝を過ぎると本格的なのぼりとなった。



ナメ滝。層状チャートからなる。



尾根直下の階段。


 沢が細くなり、高度を稼ぐと尾根が近づいたのか頭上が明るくなってきた。ようやく先週降った積雪が現れ、やや急な階段になった。積雪がしまってやや滑り歩きにくい。階段はそう長く続かず、尾根の鞍部に着いた。



尾根鞍部の分岐。


 まず山頂に行く。曲輪状の段差を越えて、2つほど郭の傍を越えた先が山頂だった。主郭の手前の鞍部に北側と南側に産出鉱種不明の坑口があり、南側はやや立派だった。ズリらしきものは無く、これも城郭遺構の一つかもしれない。神社の境内のような植林の中を少し登ると山頂に着いた。

 

主郭か。わずかに登ると山頂だった。



山頂。ベンチが置かれ、周囲は伐採されて展望が良い。



説明板。


 天候があまり良くないせいか、遠くまで見通せない。愛宕山連峰が僅かに霞んで見える程度だった。少し休憩して、神前峠方面から交流センターに下る予定を立てた。


雪中の八木城にて3に続く。



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雪中の八木城にて3

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 昨日の続きです。


 山頂を辞して、妙見道との分岐に戻った。ここからは地元設置の案内板で神前峠を目指す。鞍部からすぐにまた分岐になるが、ここは直進した。道標は無く地形図に記載のある道のようだった。

 一登りで烏岳の城郭の中心分岐に着く。「城山へ」の地元設置の案内板があるが、まず南の主郭を目指した。標高はこちらのほうが若干高いので、高い方をまず踏みに行く。このあたりまで来ると積雪が目立つようになり、無いところから適当に登って行った。主郭?のような台地があり、ここを山頂とした。南側は幅の広い堀切で、対岸はずいぶんと低くなっていたため、南尾根へはとらなかった。



分岐。



ここを烏嶽の山頂とした。(標高約350m)


 分岐に戻り、北郭を目指す。一度鞍部に下り再度登り返す。城郭特有の段々が見られ、台地に上がると一面の雪だった。積雪の所為で、続きの尾根道がよくわからなかったので、南の斜面を適当に下ると尾根道に出た。一度下りやや緩く登り返すと地形図にある「342m峰」に着いた。



342m峰。


 ここから南尾根に下る。道はなく背の低いシダ植物で覆われていて、足元が見えず非常に歩きにくい。

 シダの切れたところに歴史を感じる地籍の境界を示す区界標石があった。なぜか赤く標石は塗られていた。区界標石を過ぎると歩きやすい尾根にかわり、緩く下って行った。

 

南尾根。


 尾根がやや平坦になってくると、東の谷からの道と合流した。近くまで来たので四等三角点 三泥(255.6m)を往復した。一度鞍部まで下りだらだら登っていくと多少ヤブ化した尾根の頭に、三角点があった。



四等三角点 三泥 (255.6m)


 三角点に至る手前に陥没したような跡があり、西側に行くと斜面にロープが張ってあり下りられるようになっていたので行ってみると、下りたすぐ横に坑口が口を開けていた。坑口の前は少量のズリがあり、無色に近い菱マンガン鉱からなる炭マンが見られた。こちら側の地名は点名と同じ「三泥」だった。



三泥側の坑口。


 今日は穴探しも兼ねていたので、採集はせずに坑口だけ確認しに行く。三泥側は大きな坑口はこのひとつだけのようで、坑口の尾根を越えた反対側にも続いていると思い、尾根に戻った。

 尾根の西側はヤブになっていて、眼下に交流センターの建屋が見える。ヤブをかき分けて適当に下ると先程の坑口の延長と思われる場所に、2つ坑口があった。これより下にはないようで、眼下に見えている植林帯を目指して下って行った。植林帯まで下りると先程尾根の分岐から登ってきた道に出た。谷筋に幾つか遊具があり、敷地内に入ったようだった。

 谷筋に養蜂の区画がありこれの奥が平坦な台地になっているため行ってみると先程より大きな坑口が2つあった。

 2段になっており、下の坑口は崩れていて内部の様子はわからない。上の坑口は地元の注意板があり、未だ口を開けていた。



地元の注意板と坑口。


 母岩は泥質ホルンフェルスで、角のある重い黒い石はたいていこのホルンフェルスだった。三泥側の坑口は炭マンが見られたがこちら(蛇谷というらしい)はあまりなく「ぎら鉱」様の二酸化マンガンが見られた程度だった。


 向かいの施設から府道へ下る。車道の分岐には京阪京都交通のバス停があるが、本数は極端に少なかった。西からやや湿っぽい強風が吹いてきたためこの日は切り上げて、北ノ庄を目指して下って行った。北ノ庄から神前に至る狭い小渓谷沿いの道は拡幅工事されていて、貫入岩体である花崗岩がたくさん見られた。

 千代川ICが見えるころには時雨れだしてきた。迎えはIC手前で合流した。


 今回のマンガン山は、八木町側のものが「妙見山鉱山」、亀岡市神前側のものが「神前鉱山」と思われるが、詳しい文献の記述もなく決定打に欠けるためあえて鉱山名は付けていない。



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