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北原遺跡にて

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北原遺跡にて

京都府福知山市大江町北原散迫~魔谷

 

 高校生の時に高校の図書館に京都府遺跡地図というのがあった.当時山城を調べていた関係で,随分利用させてもらった.初見はこの時で大江山の南東の中腹に生産遺跡として上記の名称で記載があった.備考欄に鉄滓散布地とだけあり,詳細は判りませんでした.

 

 清滝(清滝不動明王の滝)を辞して大谷林道を北上し,この遺跡の前を通ることになった.遺跡の標柱の前に駐車し,付近を散策してみることにしました.

「北原遺跡」の標柱.

 

標柱の横附近.

 

 標柱の北側に林道があり,この奥にもいくつかマウンド地形があったので先にそちらへ.

林道の奥へ.

 

林道の終点のところにあった山崩れ.断層露頭のようで,黒色頁岩中に石英脈を挟むものが多少見られた.

 

 終点から先は杣道のようなものがあり,少し辿ってみました.終点から始めの谷に差し掛かった時に,下の方にマウンド地形があったので降りてみました.

川沿いのマウンド地形.大水で川岸が大きく抉られていました.川原に降りられるようなところがあって,ここから下り抉られた法面を観察した.カラミのようなものは全く見られませんでした.

 

 林道を遺跡の標柱のところまで戻り,大谷林道の九十九折れの道を登って行きました.標柱のあったところの真上のカーブのところに,坑口のようなものを見つけました.杉の木の生えている一段高い斜面に,上の方に沢が無いのに水が出ていて変に思いました.水酸化鉄の沈殿物が少しあった.すぐ横の沢はチョロチョロと流れがありました.

 沢を下って行って石垣で囲まれた台地のところに,明らかに人の手で切ったような岩があって,約一間開けて石垣に続いていました.

坑口跡と思われるところ.

 

こんな感じか.

 

 そのすぐ横にも坑口らしきところがあった.北に隣接する沢の南岸にあった.

坑口?

 

こんな感じか.

 

 この付近は1917年に千丈ヶ原の河守鉱山が発見されるまでに採鉱をしていたという伝承があるらしい.河守鉱山のほか雲原の灰谷というところにも鉱床があったという.坑口?上の方に並行軌道があったような跡があって,そこに鉄製のレールの残骸を見つけた.

レールの残骸.

 

 さらに上にもありそうなので,石垣に囲まれた山田の跡のようなところを尾根に沿って登って行きましたが,それらしき遺構は見つけられませんでした.

 古い鉱山なら鉱床露頭から竪坑で掘下ったような穴があるのですが,今回はそういうものは見つけられませんでした.鉱石質のも全く無く,土石で埋もれたのかもしれません.

 前述の京都府遺跡地図やほかの資料にも詳細は無く,何を掘っていたのかは未だに不明です.当方の感想は鉱山が主にやっていたのは慶応年間~大正の終わりくらいという印象でした.鉱産物は鉄では無く銅,あるいは標高が高いので金を狙ったのかもしれません.遺跡に隣接する川原で前述した黒色頁岩中の石英脈の転石がありました.いくつか観察したところ,石英脈に伴って黄銅鉱,黄鉄鉱・閃亜鉛鉱・緑泥石などがみられました.カラミを観察するとどういう金属を目的に操業されたのか見当がつくのですが,今回は見つけられませんでした.河守鉱山や隣町の大江山ニッケル鉱山とは別に大江山鉱山というものがあるらしいという未確認の情報もあるのですが,当地がこれなのかははっきりしませんでした.

 

 このあと,河守鉱山方面に抜けるため,さらに林道を登って行きました.どこかに河守・大江山超塩基性岩体と丹波帯堆積岩とのコンタクトがあるはずで,それが露頭であったら面白いと思って,くまなく探しながら登って行きましたが,そういうのはありませんでした.鬼嶽稲荷への道と合流するまで丹波帯の堆積岩で,粘土を伴った断層や石英脈が走った頁岩などの露頭はありました.鉄焼けも何箇所かあったのですが,単なる鉄焼けで鉱脈ではありませんでした.

 

 

 


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