いくつかの研磨した石 123
京都府亀岡市保津町愛宕谷 駒谷鉱山のパイロクスマンガン石を一面研磨してみました.この石に関して野帳が出てきましたので一部を抜粋してあげておきます.
野帳より抜粋→「愛宕山の千日詣りは毎年7月31日の晦日で夜中にお参りするのが習わしでした.いつも夜中に行っているため翌8月1日に行ってみようと思い,7年くらいまえの夏に出かけました.国鉄保津峡駅から橋を渡って,嵯峨嵐山方面へ数十メートル進んだところに尾根に上がる道があり,ここから登った.丹波帯の堆積岩(主に層状チャートからなる)が崖状になった斜面を登って行くと尾根に出た.標高300mくらいの尾根のコブから,これから目指す山頂が少し見えた.一端鞍部に下り,登り返したコブを越えた次の鞍部が「荒神峠」で一端休憩を摂った.峠の東側にマンガンを突いた跡があり,細かい二酸化マンガンが散らばっていた.小休止して登りだした.勾配がきつくると話声がしだいに大きくなり,清滝からの道と合流した.ここからわずかな登りで「水尾別レ」になった.ここから山頂まではだらだらとした登りが続く.黒門まではそんなに辛くないが,この先が勾配がすこしあり,最後の石段が一番つらかった.神社で所用を済まし,元来た道を戻るのは癪なので,樒ヶ原へのルートを採った.昼食は愛宕砥石の掘場跡のすぐ上にある三角点のところで採った.京都市街側の展望が利く.昔このあたりで日本式双晶が出たらしいが,詳しい場所は知らない.昼食を終えて竜ヶ岳方面へ採る.愛宕山連山の最高峰である地蔵山への分岐を見過ごし,笹原になったところから快適な尾根歩きとなった.笹が切れたところ辺りから「神明峠」へ至る分岐があり,今回はここを採って愛宕谷を下っていこうと,思った.しばらく植林で途中に高圧鉄塔を右手に見ながら,やや暗い植林の中を下って行った.いくらか明るくなり勾配も緩やかになってきて下に府道が見えてきた.府道に降りて神明峠を目指す.わずかな下りで峠の三叉路に付き,大きな扉のある林道の方へ下って行った.旧幕時代の愛宕講の参詣道になっていたとか.大きな池(谷山池)のよこにそれらしい遺構があり現地案内板が立っていた.この先にマンガン山があり,少しよってみました.鉱山名不明.(あとから知人より駒谷鉱山という名前を教わる) 鉄塔の巡視道から入るとすぐ左手に水の溜まっている斜坑があり,谷に面する斜面に大切坑と思われる坑口(つぶれている)が坑内水を吐き出していた.ハンマーもなにも持っていないのでマンガンらしい石を一つ拾う.日も陰ってきたので歩を進めた.途中にいくつか滝があり(このときカメラを持っていたので収めておけばよかった..後日にそれを悔やむ),珪石の掘り場跡,石灰山などがあり入口のゲートまで何とかたどり着いた.すでに日没寸前.ここから亀岡駅を目指す.駅からは一駅.駅から家までの道が足が重くしんどかった.」
ながながと書きましたが,7年ほど前の愛宕山千日詣りの野帳の一部です.この時にサンプリングした石が上の石です.成形の時に出た一部を研磨に回しました.鉱山名は前述のとおり「駒谷鉱山」で詳しい沿革等は不明ですが,明治の中頃に採掘をしていたという記録が残っていました.
研磨面とは違う面.
(研磨)見た感じでは珪岩中に鉱染した程度のマンガン鉱なので,硬いことを前提に磨り始めました.菱マンガン鉱の細かいものも混じっていましたので予想に反して簡単に磨れてくれました.仕上げは青砥でしました.
(以下 顕微鏡下での撮影)
灰白色―暗色部は珪岩.帯褐白色の脈状に入っている部分は菱マンガン鉱.
研磨面のほぼ真ん中に空隙のようなものがあるのに気づきました.穴は開いているわけではなく,石英が埋めているようでした.
一つ前の写真の拡大写真です.パイロクスマンガン石の結晶? かなり小さいものなので判別できませんでした.
磨り始める前に磁力テストで,手持ちの磁石がかなり引き寄せられるので,磁硫鉄鉱が入っているかも..と予想していましたが,はやりありました.磁硫鉄鉱です.この写真は磨り上がった直後に撮影しています.今書いているときにみるとやや錆て表面がくすんできました.
一番初めの写真の左端にある濃いピンク色の脈の拡大です.茶褐色の粒は石榴石のよう.黒色部は二酸化マンガンの染み.
中央よりやや右下に金属光沢の部分があり,閃マンガン鉱を予想しましたが,小さすぎて判別できませんでした.
この鉱床からはほかにヤコブス鉱やアレガニー石などを確認しています.
お知らせ
本日 HP通販用商品を
1点 追加更新しました.
またブログの背景を少し変えてみました.