研磨石
いくつかの研磨した石275
京都府福知山市梅谷 梅谷鉱山の磁硫鉄鉱―閃亜鉛鉱―方鉛鉱石英脈を一面研磨しました.随分前にサンプリングした石で,石英脈の一部に方鉛鉱が入っていたので残していました.その一部を一面研磨しました.
サンプルの産地の梅谷鉱山は福知山市西部の梅谷と夜久野町の境界にある行者山(351m)の南斜面および南東斜面に位置する多金属鉱床です.緑色岩中の石灰岩中の接触交代鉱床および熱水鉱床で,その開発は旧幕時代にさかのぼるようです.
沿革は明治34年頃に福知山の某が旧坑を発見し,取り明け工事して「油木鉱山」と称して再開したという.明治40年9月に武智某に移り,その後に休山し,明治44年2月より「梅谷鉱山」と改称し操業されたという.明治44年5月より再び「金谷鉱山」と称して,操業された.その後の沿革ははっきりしませんが,昭和10年頃には「梅谷鉱山」に戻って採鉱されていたようだ.大阪管区鉱区一覧の昭和11年の出鉱記録に280.9tの記載があった.終戦で休山したようだ.その後はよくわかっていませんが,現地は選鉱所があったような台地と火薬庫のようなコンクリの建造物が残っていました.主要坑道は1番坑・2番坑・3番坑・東坑があったそうだ.堰堤のある谷に1・2・3番坑があって,東坑の所在ははっきりしませんでした.鉱体は石灰岩の上盤と下盤に2本の鉱脈があったそうで,おもに亜鉛鉱を対象に稼業されていたようです.現場に行った感触では,当初は鉛の中の銀を対象としていた可能性があって,旧幕時代に夜久野町畑(鉱山の北西近距離)に「畑金山」があったそうで,この鉱山も古くは含まれていたのかもしれない.
梅谷鉱山の産出鉱物は黄鉄鉱・黄銅鉱・閃亜鉛鉱・磁硫鉄鉱・マッキーノ鉱・硫砒鉄鉱・硫カドミウム鉱・方鉛鉱・斑銅鉱・石英・褐鉄鉱・方解石・「苦灰石」・孔雀石・水亜鉛土・水亜鉛銅鉱・菱亜鉛鉱・石膏・青鉛鉱・カレドニア石?・灰鉄石榴石・緑簾石・異極鉱・灰鉄輝石・珪孔雀石など.「」は今回空隙より見つけた鉱物.
(研磨) 脈石に石英があるので,かなり硬いのを前提に磨りはじめました.表面は褐鉄鉱に覆われていて,この部分はすぐに擦り切れて内部の石英が顔を出しました.ここからが難儀して,硬度の軟らかい閃亜鉛鉱や磁硫鉄鉱が優先的に削れて,凹地になってしまいました.石英のたくさん含まれているところを重点的に磨りこんで,肉眼でへこみが確認できるまで磨ってから,周囲の金属の部分と高さを合わせました.仕上げは1000番手のペーパーを使用したうえで,黄色の砥石で光沢が出てくれました.
(以下,顕微鏡下での観察です)
白色―灰白色ガラス光沢部は石英.茶褐色―赤褐色―黄褐色ぶどう状部は水酸化鉄の鉱物.黄白色―橙黄色亜ガラス光沢は炭酸塩鉱物.帯黄真鍮色―鋼灰色金属光沢部は磁硫鉄鉱.鉛灰色―銀白色は方鉛鉱.帯黄鋼灰色でやや外形のはっきりしている金属光沢は黄鉄鉱でした.
苦灰石.黄白色の炭酸塩鉱物の集合中にあった空隙に,自形結晶の苦灰石がありました.やや褐色味が強く,周囲の炭酸塩と同じなのか判別できませんでした.
磁硫鉄鉱の多い部分の拡大です.黄色っぽい粒状は炭酸塩かと思っていたところ,石榴石でした.磁硫鉄鉱の集合した部分が一番磁力がありました.
石英.六角の外形が出ています.黄色―黄白色は炭酸塩鉱物.金属鉱物は磁硫鉄鉱でした.
方鉛鉱.石英脈がやや緻密になった部分に,同じ結晶系の黄鉄鉱を伴っていました.
閃亜鉛鉱.この鉱山の主要鉱石鉱物で,見た目は真っ黒ですが,破片を強い光源の下で観察したところ,濃赤色でした.黄白色部は炭酸塩鉱物.
こちらは黄鉄鉱です.外形の輪郭がはっきりしています.
こちらは未研磨の面についていた方鉛鉱です.結晶はしていませんが,特徴ある劈開が観察できたので,撮影しました.
(参考文献)
山下傳吉(1895):比叡山圖幅地質説明書,農商務省地質調査所,80総ページ.
農商務省鉱山局(1911):亜鉛鉱鉱床調査報文.第一回,202総ページ.
ほか多数.